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<title>氷川竜介評論集</title>
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<description>アニメ特撮評論家の原稿集です</description>
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<title>夏への扉</title>
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<description>新世紀王道秘伝書巻之弐拾壱「夏への扉」暑い陽射しの少年期■白い光のイントロダクシ...</description>
<content:encoded>&lt;p&gt;&lt;strong&gt;&lt;span style=&quot;font-size: 1.2em;&quot;&gt;新世紀王道秘伝書&lt;br /&gt;巻之弐拾壱「夏への扉」暑い陽射しの少年期&lt;/span&gt;&lt;/strong&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;strong&gt;■白い光のイントロダクション&lt;/strong&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　少年は走る。&lt;br /&gt;　限りなく白に近い夏の陽光。&lt;br /&gt;　光線の中に溶けてしまいそうになりながら、少年は走る。&lt;br /&gt;　誕生の春と収穫の秋にはさまれた夏こそは、輝きに満ちた光のシーズン。暴力的なまでに射す光線と、うだるような熱気の中で、生命を燃やし、新しい形に脱皮する季節。&lt;br /&gt;　青春、思春期と、人生でもの思う季節には「春」が名付けられている。だが、春の終わりは夏のはじまりでもある。&lt;br /&gt;　少年たちの夏。未分化な性が加速する衝動の季節。&lt;br /&gt;　否定と肯定。論理と感情。生と死。男と女。一見、相反するものの中で、もがき苦しむ。&lt;br /&gt;　子供と大人の間に位置し、激しい振幅に揺られる少年たち。&lt;br /&gt;　決闘を止めようと、夏の始まりに戻ろうと、少年は走る。&lt;br /&gt;　それは、夏の終わりの出来事だった。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;strong&gt;■ビデオアニメの先駆的作品&lt;/strong&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　この作品は厳密にはビデオアニメではない。&lt;br /&gt;　家庭用ビデオ向けにアニメが製作されるようになったのは83年のこと。竹宮恵子原作のアニメ『夏への扉』は、先駆け的な作品だ。&lt;br /&gt;　81年８月、『悪魔と姫ぎみ』と併映にて公民館・ホールなどで公開された。既存配給網とは別に上映することを目的に製作されたオフシアター作品である。&lt;br /&gt;　１時間弱の中編であること、性表現や少年愛などテレビに乗せるには困難の感じられる企画であること。全国規模の劇場公開の興業に乗せるにはマイナーに過ぎること。そこに挑戦した作品と言える。&lt;br /&gt;　すなわち、この作品の成立条件は、初期のビデオアニメと同じ志に貫かれているのだ。完成した作品も、題名の通り、夏の熱気に満ちていて、観客を圧倒する。&lt;br /&gt;　では、その「夏」とはどのようなものだったのだろうか？&lt;br /&gt;……18世紀の中頃、フランスのギナジウム（寄宿舎）で暮らす少年たちの中に、「合理党」を名乗る４名の少年たちがいた。リーダーの名はマリオン。彼は知的かつクールな性格で他の３人より、際だっていた。&lt;br /&gt;　少年たちのあこがれは、市長の娘レダニア。彼女は密かにマリオンを慕っていたが、マリオンの方は目もくれない。それが逆に女性たちのマリオン人気を加熱させるような有様だった。&lt;br /&gt;　夏休みに入ったある日、マリオンはレダニアにプロポーズをして争う生徒たちの仲裁に入った。おさまらない上級生ガブリエルと機関車の前に立ち、どちらが逃げずに我慢できるかチキン・ラン式の決闘をするマリオン。&lt;br /&gt;　マリオンは、ついに機関車を止めてまで決闘に勝利した。彼のどんなことにも動じない態度は、ますます評価をあげた。その列車から降り立つ一人の謎めいた婦人がいた。近くの別荘に来たというその女性……サラはやがてマリオンの運命を大きく変える。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;strong&gt;■少年時代の揺れる心&lt;/strong&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　作品の製作は東映動画、製作協力はマッドハウスだ。演出（監督）は虫プロ出身で70年代に『ジロがゆく』など数々の劇画を発表して話題を呼んだ真崎守。出崎統監督、りんたろう監督らと並び、漫画映画的なアニメーションと対極にある大胆な画面構成、色彩配置、ダイナミックな時間感覚に彩られた演出をする監督である。&lt;br /&gt;　少年期特有といえる心の振幅は、竹宮恵子による原作のエッセンスだ。真崎監督は、ガラスのように触れたら壊れそうな危うい少年らしい心のバランスを、フィルム上に定着させた。&lt;br /&gt;　冒頭、オープニングのタイトルバックは、母親の手紙を破るマリオンだ。彼の両親の仲は、すでに破局していた。母親は新しい伴侶を見つけ、バカンスに出かけたりしている。その有様が潔癖たろうとする少年マリオンにはどうにも我慢ならなかったのだ。&lt;br /&gt;　「合理党」を名乗り、理屈に拘泥するマリオンの葛藤の根は、ここにある。両親に求める理想像と現実のギャップが、マリオン自信の存在理由を危うくしていた。だからその均衡を合理主義に求めていたのである。&lt;br /&gt;　この乖離は、必然的にマリオンの異性観をも歪め、きしみをもたらす。マリオンを慕い、ラブレターを出してカフェで一人待つレダニア。だが純粋たろうとするマリオンは、自分の本心を認めきれず、つい傷つける言葉を発してしまう。平手打ちをするレダニア、そして雨の中を駆け出すマリオン。&lt;br /&gt;　彼にとって男女も愛もＳＥＸも、規則にしか過ぎない。愛に絶望したマリオンの絶叫は、彼の心の中の混乱をよく表現している。&lt;br /&gt;　必要最小限の描写と映像でマリオンの心のもつれがよく表現されている。その純粋さは大きくゆさぶりをかけられることになる。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;strong&gt;■受け止める愛の形&lt;/strong&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　雨の中で倒れていたマリオンを助けたのは、サラだった。濡れた衣服を脱がされ、素裸で無防備な状態のマリオン。&lt;br /&gt;　マリオンはうわごとでレダニアの名前を何度も呼んでいた。好きな相手にわざとつらく当たるような青さを微笑ましいと思うサラ。からかうように聞こえ、羞恥の心がさらにマリオンの心に反発を呼び、おびえ、絶叫し、サラを拒絶する。&lt;br /&gt;　自分の生も死も個人の権利で自由だと主張するマリオンに、サラは微笑みで返す。&lt;br /&gt;　生命は自分だけのものではない……。愛は何も奪わない。欲しいと思ったら受け取るだけ。キスひとつ、愛ひとつ。&lt;br /&gt;　サラの言葉の暖かさがマリオンの心の氷を溶かす。その場面が暖炉の前、という演出が秀逸である。サラはマリオンの額にそっと手をあて、涙をキスで受け止める。&lt;br /&gt;　やがてサラは着衣を一つずつ脱ぎ始める。アンダーウェア、さらに包まれていた柔らかく豊満な女性の裸身が次第に出てくるにつれ、マリオンの表情は素直な驚きに満たされていく。そして、二人はベッドの上でゆっくりとひとつになっていった。&lt;br /&gt;　めくるめく初体験シーンは、風景、イラストを交え長時間にわたって美しいスキャット、詩的なモノローグとともに、さまざまな表現で展開される。&lt;br /&gt;　その描写はここではあえて細かく説明しない。直接的な性描写とは違って、さまざまな映像に仮託されたひとつひとつの表現がマリオンの官能に結びつけられ、開放的な感動に結びついていく。&lt;br /&gt;　アニメーション・フィルムならではの初体験、これこそが本作品の白眉なのである。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;strong&gt;■破局への変節点&lt;/strong&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　マリオンはサラに助けられてから一週間、行方不明となっていた。&lt;br /&gt;　心配して訪ねてきたジャックとリンドにの前に現れたマリオンは、人が変わったようだった。&lt;br /&gt;　生まれて初めて自分以外の人間を好きになったマリオンは、父母のことも許し、自分を好きになれたとすら語る。ガキっぽくなったという仲間の批判をよそに、自信をつけたマリオンは人目もはばからず、白昼堂々サラと口づけを交わし、町中の噂になっていた。&lt;br /&gt;　マリオンの心情、この高揚感もまた理解しやすいものである。&lt;br /&gt;　愛を知らず心を閉ざしていた少年の心は、愛を手に入れたことで大人になった、なりきったと思いこむ。その証拠を求め、認知させようと浮かれれば浮かれるほど、周囲のことは眼中になくなり、新たな少年らしい自己中心的な行動を招くのである。&lt;br /&gt;　大人への階段を上り始めたが、大人になりきったわけでもない。それに気づかぬ無邪気さは、周囲とのバランスを大きく崩していく。&lt;br /&gt;　そして、ついに破局を招いてしまう。&lt;br /&gt;　馬小屋で自殺しようと薬を飲んだクロード。偶然通りかかったマリオンは衝撃の告白を聞いた。クロードはマリオンを密かに愛し、少年愛に悩んでいたということを。マリオンが熟女との肉欲に走ったことが、クロードを追いつめたのだろうか。激情に自制を失った彼はマリオンにのしかかっていく。&lt;br /&gt;　マリオンは反射的に暴力をふるってしまい、絶望したクロードはついに手首を切って自殺を完遂した。&lt;br /&gt;　一方、リンドはマリオンに決定的な差をつけようと、サラのパトロンであるグリューニー伯爵に密告をした。だが、伯爵はサラが愛を分かちあっただけだと知っており、紳士らしい態度で穏やかに対応した。その事実を知ったジャックは、リンドを卑怯者呼ばわりし、レダニアへのプロポーズを賭けて決闘を申し込んだ。&lt;br /&gt;　決闘を止めようと、懸命に夏の光の中を駆けるマリオン。それは物語の冒頭のシーンでもあり、様々な愛の終わりでもあった。『夏への扉』は、もの悲しい秋の風景で幕を閉じる。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;strong&gt;■にがく苦しい青春の味&lt;/strong&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　愛という字は「受」の中に「心」と書く。&lt;br /&gt;　愛は心を与えるものであって、押しつけるものではない。相手が心で受け止めなければ何にもならないからだ。&lt;br /&gt;　愛は判ろうと受け止めるものであって、求めるものではない。他人が自分に愛を与えてしかるべきだ、と考えるからこそ関係が悪化する。&lt;br /&gt;　サラはとまどい震えている少年に、そっと愛を示した。サラは何かを奪おうと誘惑したわけではなく、自分の心を差し出し、少年が受け止めるかどうかたずねただけだった。続く美しいラブシーンは、開いたマリオンの心が示す歓喜の表現だったのである。&lt;br /&gt;　一方、少年クロードから求愛を受けたマリオンは、必要以上の拒絶をしてしまった。マリオンはクロードを抱きしめられなかった自分を深く後悔した。サラの前にいてすべてを拒んでいた自分と、禁じられた少年への愛に震えていたクロードに本質的な差はないのに。&lt;br /&gt;　そこに気づいたマリオンは、一歩大人に近づいた。だが、それは少年から遠ざかることでもあった。結果、４人の少年は離ればなれになってしまった……。&lt;br /&gt;　青春を表現するときに、「甘酸っぱい」という言葉がある。歓喜と苦渋と諦念と懊悩が入り交じった、振り返ると顔から火の出るほど恥ずかしい季節。だが、人生でこれほど大事な時期も他にない。本作品では現実の肉体を持たないアニメで肉感的、精神的なものを取り混ぜて描くことで、青春のエッセンスを昇華し、フィルムに定着できたとは言えまいか。&lt;br /&gt;　フランス語のナレーションで始まり、ＦＩＮの字幕で終わりを告げる入魂の青春映画『夏への扉』。新世紀に向けて、暑い夏を謳歌するフィルムが、また回る。&lt;br /&gt;　　　　　　　　　　（資料協力・藤津亮太）&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;strong&gt;☆ヒロイン・レダニア&lt;/strong&gt;&lt;br /&gt;　町中の少年たちからプロポーズされる市長の娘レダニア。マリオンに寄せる秘めた想いはマリオン自身の本心とは裏腹に拒絶されてしまう。作中、少年たちによってレダニアは神話の「レダ」になぞらえられる。白鳥となって訪れたゼウスと交わりを持ったレダは、やがて二個の卵を生んだという。このたとえがマリオンに性を連想させ、物語の最後まで二人の心はすれ違ったままの悲劇を招くのだ。なお、原作ではレダニアは別のエンディングを迎えている。興味ある人は確認して欲しい。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;strong&gt;☆川尻善昭・入魂の画面構成&lt;/strong&gt;&lt;br /&gt;　本作品の画面構成（レイアウト）担当者は、後に『妖獣都市』『獣兵衛忍風帳』などを監督する川尻善昭、その人である。今でこそハードボイルド・バイオレンスな作風が定着しているが、かつては本作や『エースをねらえ！』『レディ・ジョージ』など少女マンガ原作のアニメも多数手がけていた。真崎守が絵コンテで決めた大胆かつ細心な構図を極めて緻密に重層化して実画面に展開、全編にスキのない映像空間を創出した。ここでは冒頭の決闘シーンの写真を並べてみた。深紅の花畑にモノクロームで描かれた背中合わせの二人の少年。殺し合いの緊迫感が、単純に見えて無駄のない構図で盛り上がる。止めようともどかしげに走るマリオン。やがてカウントダウンの時が来て、割って入ったマリオンは……という、時間的にも見事な流れを持ったレイアウトなのだ。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;strong&gt;☆羽田健太郎の音楽世界&lt;/strong&gt;&lt;br /&gt;　この作品では羽田健太郎、通称ハネケンの音楽が全編に拡がりと格調を与えている。ピアニストであるハネケンは、演奏者としても『サイボーグ００９（新）』や『伝説巨神イデオン』『宇宙戦艦ヤマト（シリーズ）』など多くの作品に参加している。『宝島』でアニメの作曲を開始、やがて『超時空要塞マクロス』で大ヒットとなる。80年代前半アナログ時代末期はアニメ音楽のＣＤ化に関して真空地帯になっていて、ハネケンの名アルバムの数々も未ＣＤ化のままである。特にこの『夏への扉』は81年の日本アカデミー音楽賞を受賞しているのに、いま簡単にＣＤで聴けないのは痛い。『ムーの白鯨』『科学救助隊テクノボイジャー』『怪奇！フランケンシュタイン』などとまとめ、「羽田健太郎の世界」としてＣＤ化を切に希望する。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;strong&gt;☆イラストによる心情描写&lt;/strong&gt;&lt;br /&gt;　演出（監督）の真崎守は虫プロ時代に『佐武と市捕物控』などの作品で「もり・まさき」名義で貸本劇画の流れをくむ先鋭的な映像技法を展開した。70年代では、やはり時代を反映した劇画で活躍。この作品でも、マリオン初体験のエクスタシーをイラスト描写し、自らも筆をとって燃え立つ熱情を活写した。クロードがマリオンを襲うシーンでは、クロッキーの馬を動画で走らせ、激情を押さえられなくなる様子を代弁。セルアニメの限界を超えた映像をつくりだしていた。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;strong&gt;DATA&lt;/strong&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;原作／竹宮恵子 掲戟／「花とゆめコミックス」&lt;br /&gt;プロデューサー／秋津ひろき（ＬＤジャケットでは田宮武と表示）　製作担当／おおだ靖夫　設定／丸山正雄&lt;br /&gt;脚本／辻　真先　演出／真崎　守　演出補佐／平田敏夫&lt;br /&gt;画面設定／川尻善昭　作画監督／富沢和雄　美術監督／石川山子　撮影／相磯嘉雄、細田民男　編集／花井正明　音楽／羽田健太郎　製作／東映動画　製作協力／マッドハウス&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;■CAST&lt;br /&gt;マリオン／水島　裕　ジャック／古谷　徹　レダニア／潘　恵子　クロード／三ツ矢雄二　リンド／古川登志夫　サラ・ヴィーダ／武藤礼子　グリューニー伯爵／柴田秀勝　ナレーション／井上真樹夫　ほか&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;編注：この回のイントロコラムには、こう書いてありました。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;「レンタル店でもお目にかかれない作品の場合、どこまで書くかで、悩むこともしばしばです。家庭から映像を発注し様々な通信で配信するビデオ・オン・デマンドが実現したときこそ、本物の「アニメの古典」が誕生するのかも」&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;ところがサントラはなんとＣＤ復刻され、この４月からの『地球へ…』のアニメリメイクをきっかけに、旧『地球へ…』ともどもＤＶＤ化されることになったのです。という喜びの一方で、６月２日に羽田健太郎さんが亡くなってしまいました。追悼の思いもこめつつ、再掲することにします。合掌。&lt;/p&gt;
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&lt;p&gt;&lt;/p&gt;</content:encoded>


<dc:subject>アニメ</dc:subject>

<dc:creator>氷川竜介</dc:creator>
<dc:date>2007-06-04T18:46:59+09:00</dc:date>
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<item rdf:about="http://hikawa.cocolog-nifty.com/hyoron/2007/05/post_3046.html">
<title>『時をかける少女』と『パプリカ』</title>
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<description>題名：虚実の皮膜を突破する筒井ＳＦの快感と、そのアニメ化 　ＳＦは未来を志向する...</description>
<content:encoded>&lt;p&gt;&lt;strong&gt;&lt;span style=&quot;font-size: 1.2em;&quot;&gt;題名：虚実の皮膜を突破する筒井ＳＦの快感と、そのアニメ化&lt;/span&gt;&lt;/strong&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　ＳＦは未来を志向する文学として誕生した。科学技術による加工貿易で日本が急成長していった時代にも大きな役割をはたし、アニメが産業として発展するときのバックボーンにもなった。映画自体が産業革命の果てに発展した科学技術の産物なのでＳＦとは親和性が高いし、黎明期のＴＶアニメでＳＦ作家が多数動員されている理由もそこにある。&lt;br /&gt;　その一方でＳＦ小説の活字で表現される世界と映像表現には微妙な隔たりがいつもつきまとっていた。そんな事情が大きく変わるのは近年、デジタル映像技術が急成長して表現力が強化され、小説でしか成し得なかったイマジネーションに追いついた結果である。現に日米ともＳＦ小説の古典が続々と映画化されているではないか。&lt;br /&gt;　こうした時代性をふまえたとき、筒井康隆原作のＳＦ小説『時をかける少女』と『パプリカ』が連続して劇場アニメ化されることには、どんな意味が見いだせるのだろうか？&lt;br /&gt;　まず、すでに公開済みの細田守監督の『時をかける少女』は、ジュブナイル（少年少女向け）小説が原作である。女子高生・真琴がタイムリープ（時間跳躍）することで経験する甘酸っぱい感情という小説のエッセンスを凝縮。細田監督ならではの小道具やレイアウトにこだわった日常性の強い映像がベースとなった結果、日常からジャンプするＳＦの驚きの感覚が高まった傑作である。&lt;br /&gt;　ドラマの核は、思春期の心身とも不安定な時期に少女と男子２名の間に生じる微妙な関係である。これにタイムリープによる時間リセットという非現実性が介在することで、真琴の葛藤はＳＦ的にも圧力を加えられ、驚きの結果を提示する。タイムリープに翻弄されず、むしろ前向きに利用してしまう現代の少女的な描写は、筒井康隆の原作にはもちろんない。だが、リセットでやり直された時間の虚構性と本来の現実の間にある皮膜をタイムリープが突き破るというアレンジの方法論は実にＳＦ的で、より高いレベルで原作の精神を継承する作品になったと言える。&lt;br /&gt;　一方、これから公開される『パプリカ』はどうだろうか？　これは精緻な画面構成と作画で知られる今 敏監督の最新作として大きな注目を集め、すでにヴェネチア国際映画祭でも高い評価を受けた劇場映画である。&lt;br /&gt;　『千年女優』や『妄想代理人』など今 敏監督の作歴では、筒井小説にも共通する虚実の境界が曖昧になるような、ＳＦ的な仕掛けが使われてきた。『時かけ』と比べると今作品では虚実はジャンプせずに、現実描写からシームレスに夢や虚構世界へと移行し、ディテールに凝った「ホント」と「ウソ」が混淆していく点が違う。観客としては、その虚実入り交じったシチュエーションの幻惑感とともに、ドラマの感情面を楽しむというスタイルになる。その点で『パプリカ』は決定版と呼ぶべき驚異の映像世界を提供している。&lt;br /&gt;　今回は、精神医療の一貫として他人の夢の中へと入っていく女性パプリカが主人公になっているため、虚実のバランスが夢の方に傾いている。手描きを基本とした人肌の感じられる柔らかい作画技法を中心に用いて「夢を夢らしく描く」ことに心血が注がれた結果、盤石と思われるコンクリートや金属はゆらめき、人形や電化製品や鳥居までが練り歩く極彩色のパレードが出現。そのエキセントリックさは、まさに「筒井康隆的映像」のインパクトと同質である。幾重にも散りばめられた筒井作品へのオマージュとともに、映像の虚構性の極致を楽しめる作品に仕上がった。&lt;br /&gt;　このように、『時をかける少女』と『パプリカ』は現実・夢の対極にありながらも、その境界にある皮膜を行き来するという点で共通性を持っている。その皮膜の突破はＳＦの真髄でもあるが、それはアニメならでは映像表現が可能とした部分が多々存在する。筒井ＳＦという極上の材料に究極の調理法を施した２作品。その共通性と異同から、新たに生まれるテイストを楽しんでいただきたい。&lt;br /&gt;【初出：月刊アニメージュ　2006年11月号　特集用原稿／脱稿：2006.09.22】&lt;/p&gt;
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&lt;p&gt;&lt;/p&gt;</content:encoded>


<dc:subject>アニメ</dc:subject>

<dc:creator>氷川竜介</dc:creator>
<dc:date>2007-05-08T11:57:09+09:00</dc:date>
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<title>機甲界ガリアン（解説）</title>
<link>http://hikawa.cocolog-nifty.com/hyoron/2007/02/post_1964.html</link>
<description>●ＴＶシリーズ解説 『機甲界ガリアン』は、1984年10月５日から1985年３月...</description>
<content:encoded>&lt;p&gt;●ＴＶシリーズ解説&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;『機甲界ガリアン』は、1984年10月５日から1985年３月29日まで、日本テレビ系で全25話にわたって放映されたＴＶアニメーションである。その後、1986年に全３巻のビデオシリーズが発売された。&amp;nbsp; &lt;br /&gt;　物語は、古典的とも言える壮大なるイントロダクションから語られ始める。3000年の長き歴史を誇るボーダー王国。その世継ぎたるジョルディが誕生した、まさしくその夜──惨劇は起きた。&lt;br /&gt;　この世界に突如として姿を現した征服王マーダル。彼の率いる機甲軍団の手によって、王国は瞬時に崩壊してしまった。王は殺害され、王妃はマーダルに囚われ幽閉されてしまった。そして、赤子のジョルディは重臣アズベズに救い出され、その孫として育てられ、鍛えられていった。マーダルに対して反攻に出る、その日のために……。&lt;br /&gt;　このある意味ではアナクロとも言える語り口は、鉄の鎧がロボットとして活躍するという設定とも親和性が高く、独特の世界観をつくりあげていった。ガンダムのモビルスーツが人型をした汎用兵器的なイメージが強いのに対し、ガリアンの機甲兵は一体ずつ特徴と役割が明確になっている。それが世界に重層的な厚みをもたらし、個々の機甲兵にも強いキャラクター性を感じる源泉となっている。&lt;br /&gt;　その世界の中で語られるのは、ジョルディ（通称・ジョジョ）の少年らしいまっすぐな気性と、前に向かって進んで行こうという気迫だ。もちろん、その純粋さが局面を打開することもあれば、障害が成就を妨げることもある。その起伏の中で描かれるものとは、言うまでもなくジョジョの成長である。その点では、本作こそは正統派の冒険譚、ビルドゥングスロマンの継承者と言えるだろう。&lt;br /&gt;　だが、この観客の世界への一方的な思いこみは、主人公たちにとっての“宇宙人”なる存在でゆらぎ、終盤で大きく覆されていく。そして、マーダルの究極の目的とは……まさにＳＦの世界で連綿と語られ続けてきた、科学文明と人間の進化・退化との相関についての大考察なのである。&lt;br /&gt;　マーダルの意図は、社会的・大局的見地からすれば、まさしく一面の“正義”だ。それを知った上でのジョジョが選択するもの、“高度文明連合”が取ろうとする措置、最終的にマーダルの選ぶ行為が絡み合い、幾多の人びとの思いをからめながら終結へとつながっていく。そのとき生まれる感動とは、まさに長編小説を読み終えたときのもの。これぞ25話、約10時間（映画５本分）という長さならではの、凝縮された味わいである。&lt;br /&gt;　今回のＤＶＤ化を機に一気にご覧になってはいかがだろうか。この作品だけの持つ、豊饒なるロマンを一気に味わうために。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;●ビデオシリーズ解説&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　ＴＶシリーズ終結後、本作のビデオシリーズ展開が開始された。初出の発売は、東芝映像ソフト。全三部構成で、最初の２本が総集編、３本目がオリジナルである。&lt;br /&gt;「ACT1 大地の章」は1986年１月21日発売。ＴＶシリーズの前半に相当する第１話から第13話、ジョルディが母のもとへと旅立つまでを再構成したものである。&lt;br /&gt;「ACT2 天空の章」は同年３月21日発売。第14話以降の後半部分を再構成したもので、鉄巨人と機甲兵の戦いが惑星アーストを超えて銀河へと広がる展開を描いた。&lt;br /&gt;　この２編については、過去のLD-BOXには収録されておらず、初出以後は今回が初の再録となる。特に新作に相当する部分はないが、画角を映画風のワイド画面に変化させた部分があり、 本作が映画化されていたら……という気分を味わうことができる貴重なビデオグラムである。&lt;br /&gt;「ACT3 鉄の紋章」は、1986年８月５日に発売されたビデオ用のオリジナル作品である。登場人物も機甲兵も、この小一時間の作品用にＴＶシリーズから換骨奪胎されている。&lt;br /&gt;　惑星アーストを統一しようと野望に燃えるマーダル王。彼の手によって甦った機甲兵によって、各地は征服されていった。だが、その強大な力の影には恐ろしい邪神の姿があった。そして、その邪神が目覚めるとき、伝説の鉄巨人もまた世を鎮めるため、甦るという……。&lt;br /&gt;　マーダル王のキャラクターはＴＶ版のアズベズに近く、また主人公のジョルディとチュルルはハイティーンにと、大きく設定が変更されている。養子のハイ・シャルタットが邪気にとらわれ、王の殺害のイメージどおりになっていくという展開や、騎馬軍団が各地の部族を襲っていく様子などは、まるで映画の巨匠・黒澤明がシェイクスピア劇にヒントを得て製作した『蜘蛛巣城』、あるいは『影武者』のような戦国時代劇を連想させる。そして、ただ一度だけ復活する鉄巨人は特撮時代劇の『大魔神』に通じるものがある。&lt;br /&gt;　ＴＶ版のテンポ良く進む活劇風の作風に対し、ビデオ版ならではの拡がりを持った重々しく大時代的な世界観には、出渕裕の提供した機甲兵の新デザインがよく馴染んでいる。中世風の飾り文様や突き出した棘、甲冑の折り重なりなど、ＴＶ版ではアニメ作画のために省略されていたテイストを復活した上に、もう一度プロポーションごと全体を再構成。このメカ群のまとまり感は、出渕裕のファンタジー分野のテイストを確立したと言えるだろう。&lt;br /&gt;　こういった情報密度は、90分以上の映画サイズに充分に耐えうるものである。実際の尺（長さ）は１時間以下とやや短いが、その凝縮感もまた味のうちになっている。&lt;br /&gt;　特に後半、竜巻とともに鉄巨人（ガリアン）が姿を現し、まさしく蛇のように身体をうねらせながら攻撃をしかける邪神兵と刃を交えるクライマックスでは、この作品だけのダークなメカアクションが展開、画面から目が離せない。&lt;/br&gt;【初出：『機甲界ガリアン』DVD-BOX（バンダイビジュアル）解説書　脱稿：2003.02.11】&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;→関連評論&lt;a href=&quot;http://hikawa.cocolog-nifty.com/hyoron/2007/02/post_fef4.html&quot;&gt;「メカファンタジーの可能性」&lt;/a&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;/p&gt;</content:encoded>


<dc:subject>アニメ</dc:subject>

<dc:creator>氷川竜介</dc:creator>
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<title>機甲界ガリアン</title>
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<description>題名：メカファンタジーの可能性 『機甲界ガリアン』の放映当時、サンライズ製作のロ...</description>
<content:encoded>&lt;p&gt;&lt;strong&gt;&lt;span style=&quot;font-size: 1.2em;&quot;&gt;題名：メカファンタジーの可能性&lt;/span&gt;&lt;/strong&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;『機甲界ガリアン』の放映当時、サンライズ製作のロボットアニメは、青年層向けの二本柱があった。ひとつは富野由悠季監督による『疾風ザブングル』から『聖戦士ダンバイン』『重戦機エルガイム』へと続いていくシリーズ。そして、もうひとつが『太陽の牙ダグラム』から『装甲騎兵ボトムズ』を経て本作へとつながっていく高橋良輔監督のシリーズである。&lt;br /&gt;　高橋監督作品の系譜においても、ロボットが強いキャラクター性を持ち、ファンタジー色の強い冒険譚というのはやや異色であった。それまでは、高橋監督作品も、富野監督の『機動戦士ガンダム』が切り開いた路線の上にあったからである。つまり、ロボットをアニメーションのキャラクターではなく、科学と工業技術の産物であり、量産可能なある種無個性な機械と位置づける観点である。&lt;br /&gt;　ガリアンという作品も、実際にはそこからは大きくは逸脱していない。ロボット自体には意志はなく、操縦者を必要とするし、過去に存在した未来的テクノロジーで作られた量産兵器でもある。それにもかかわらず、そこには強いキャラクター性を感じる。これは一種の矛盾であるが、実はその矛盾を超える“トンネル効果”的なポイントにこそ、一方向に進めば閉塞してしまうだけの限界を打破する可能性が秘められているのではないだろうか。&lt;br /&gt;　“ファンタジー”という欧米色の強い要素が、時代とともに日本社会へ受容されたことも、これには作用している。&lt;br /&gt;　ファミコンゲームの『ドラゴンクエスト』の発売は1986年５月、ガリアン放映終了直後のこと。『指輪物語』に代表される本格的ファンタジーは、「剣と魔法」という世界観で、それをテーブルトークＲＰＧからコンピューターＲＰＧを経て、日本の大衆向けに一般化して受け入れられたのが『ドラクエ』である。それとガリアンやダンバイン等の出現が歩調を合わせているのが、歴史的には面白い。&lt;br /&gt;　ドラクエ以前の『ダンバイン』では、魔法を「オーラ」と言い換え、生体が放つ気に近く、人によって優劣のあるものとした上に、魔法（オーラ）の受け皿となるロボットのデザインを生体方向に強く色づけ、そのリンケージを明確にしていた。このように世界を構成する要素の、何が「あり」で何が「なし」かのサジ加減をかなりうまく配分しないと、単に勝手なことが夢のように展開する方向性へ流れてしまう。&lt;br /&gt;　一方で『ガリアン』の方法論は、魔法抜きである。鋼鉄メカによる剣技だけで、ほとんど勝敗・優劣の決まる世界で、これは中世の騎士物語や日本の時代劇が持っていた世界観やドラマと親和性の高いものである。それは、ビデオ版ガリアンの『鉄の紋章』が証明済みである。&lt;br /&gt;　現状、ロボットアニメというとガンダム的な兵器的世界観のものか、スーパーロボットという呼び名のヒーロー要素の強いものが主体である。それぞれが、おそらくはロボットの兵器的リアリティとキャラクター性が両立せず、苦労していることだろう。&lt;br /&gt;　だが、こういった“メカファンタジー作品”とでも呼べる分野には、兵器とキャラクターの矛盾を飛び越えることのできる“可能性の鉱脈”が眠っているのではないか。その矛盾を超えられるのは、まさに無生物に生命を吹き込む矛盾を内包したアニメだけなのである。&lt;br /&gt;【初出：『機甲界ガリアン』DVD-BOX（バンダイビジュアル）解説書　脱稿：2003.02.11】&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;→関連評論&lt;a href=&quot;http://hikawa.cocolog-nifty.com/hyoron/2007/02/post_1964.html&quot;&gt;「機甲界ガリアン（解説）」&lt;/a&gt;&lt;br /&gt;&lt;iframe marginwidth=&quot;0&quot; marginheight=&quot;0&quot; src=&quot;http://rcm-jp.amazon.co.jp/e/cm?t=hikawacocolog-22&amp;amp;o=9&amp;amp;p=8&amp;amp;l=as1&amp;amp;asins=B00008BDBQ&amp;amp;fc1=000000&amp;amp;IS2=1&amp;amp;lt1=_blank&amp;amp;lc1=0000FF&amp;amp;bc1=FFFFFF&amp;amp;bg1=FFFFFF&amp;amp;f=ifr&amp;amp;nou=1&quot; frameborder=&quot;0&quot; scrolling=&quot;no&quot; style=&quot;WIDTH: 120px; HEIGHT: 240px&quot;&gt; &lt;/iframe&gt;&lt;/p&gt;

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<title>トップをねらえ2!  トップをねらえ! 合体劇場版</title>
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<description>題名：『トップをねらえ２！』遅効性の毒 　明け方―― 　急に頭のなかで何かが化合...</description>
<content:encoded>&lt;p&gt;&lt;strong&gt;&lt;span style=&quot;font-size: 1.2em;&quot;&gt;題名：『トップをねらえ２！』遅効性の毒&lt;/span&gt;&lt;/strong&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　明け方―― &lt;br /&gt;　急に頭のなかで何かが化合して、涙がコボれてきた。なんでだかわからなかったが、どうも『トップ２！』のことらしいと、しばらくして気づく。 &lt;br /&gt;　そうなんだ。自分で書いてたじゃん。「明るい話かと思ったら、切ない話」って。 &lt;br /&gt;　これ、要するにノノのことがメインの話だと思ったら、メインはラルクだったという意味なんだ。劇場版は整理するときに、そこをストレートに出している。 &lt;br /&gt;　そしてクライマックス、巨大メカのどつきあい。ＯＶＡ観たときには正直、滑ってるんじゃないかと思う部分もあった。だけど、でかいものが正しくでかく見えるスクリーンで、きっとスタッフの「マジ」がストレートに飛びこんできて、浴びてしまったんだと思う。 &lt;br /&gt;　拒絶することもできず、染みこんでしまった映像体験。それが「毒」。じわじわと効いてくる毒。１と２が「対」になることで効く毒。あ、いけね。このことも自分で書いてるじゃん。オレってバカなのか？ &lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　次なる触媒は、「トップ２！」最終回のサブタイトル。ガイナックスの伝統に従って、それはＳＦ小説からの引用で、「あなたの人生の物語 (テッド・チャン著）」。この「あなた」って、「ラルクはあなた」という意味なんだよね、きっと。 &lt;br /&gt;　そしてもっとも気になるのは、未見の方のネタバレになったらゴメンだが、「別離」のシーン。あの静謐さのせいだよね、あとでジワジワ効くのは。 &lt;br /&gt;　そういうのが、もろもろ頭の中でひとつになって、「永遠に戻らない人」のいくつかの記憶と結びついて、オレはそういう人たちに対して本気だったのか、真剣だったのかというような悔悟とも結びついて、それでヤラれちゃったんだと思う。 &lt;br /&gt;　もちろん「トップ２！」が「泣ける映画」とか言うつもりはない。表現としてはわかりにくいものだろうし、１の方がそこは圧倒的に伝わりやすくできている。でも、「２！」はちょっとぶっ飛んでいたりする点など、拒絶感もあるだけに、「毒」として良く効くものだったんだろうなあ。これ、しばらくやられてしまいそう。 &lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　そんなこんなで「あなた」というキーワードとか再考すると、これってけっこうヤバイよね。だって、「お宅」って本来は「あなた」のよりpoliteな言い方でしょ。でも、その分だけ皮膜を張って他者を拒絶しつつ関係をもつという、そういう二人称を使うのが「オタク」。 それが「あなた」になることが物語の完結になるわけだし。ラルクが、宇宙一のオタクだったかもしれない「ノリコ」に似ていると言われたりしてることも関係があるわけだし。 &lt;br /&gt;　そういうわけで「あなたの物語」は、「あ、オレの物語だったのか……」という認識に時間をおいて染みわたり、そのじわじわさ加減に、急に涙が出てきたわけ。 &lt;br /&gt;　結局、この「オレの体験」の話も、すごくわかりにくいと思う。でも、それでいいんだと思う。その方が、ジワジワと効くかもしれないからね。いまは、速攻で答えを求めすぎの時代だと思う。でも、それは消費速度を増すことに加担することになるからさ。全部がこうである必要はないけど、じんわりと化合を楽しむこともまた、長い人生、たまには良いんじゃないのかなあ。 &lt;br /&gt;　そんな作品を贈ってくれた『トップ２！』スタッフには、すごく感謝してます。いまさらですが、この作品のことをすごく好きになってます。そういうわけで、この話はしばらく表には出さない。この話自体が、なにかひとつの「公式回答」のように思われたら、せっかくジワジワと染みてる途中の毒体験を阻害するかもしれないからね。&lt;br /&gt;【初出：mixi日記を個人誌「ロトさんの本Ｖｏｌ．１８」用にリライトしたもの。2006年12月31日発行】&lt;/p&gt;

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