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2006年12月17日 (日)

AIR(出崎統監督)

題名:映像の詩人・出崎統が掘り当てる「感動の鉱脈」

 2004年に『エースをねらえ!』が上戸彩主演の実写ドラマでリメイク、オンエアされて反響を呼んだ。原作は山本鈴美香のマンガであるが、本当の原作はTVアニメ版(1973年製作)と言うことができる。特にテニス試合でスマッシュを打ち込まれた驚愕の時間感覚が一瞬だけスローで表現されたり、流れるようなカメラワークで感情のリズムを組み立ててドラマを盛りあげる様は、アニメ版を強く意識した実写への移植のように思えた。
 そのオリジナルにあたる『エースをねらえ!』を演出した監督が、日本の多くの映像作家に影響を与え、数々の傑作アニメフィルムをものにしてきた出崎統(ルビ:でざき・おさむ)である。
 今回、美少女ゲーム『AIR』を原作に映画化すると聞いて驚いた方も多いというが、私としては「これはかなりの傑作になるのではないか」と、期待に身が引き締まった。ここでは出崎統監督の足跡を紹介しつつ、なぜ傑作の予感がするのか、理由につながる要素をあぶり出してみたい。
 出崎統監督の歴史的な功績を広く一般的に紹介する言葉としては“『あしたのジョー』の梶原一騎(高森朝雄)・ちばてつやに続く三人目の作者”というのが簡潔にして適切だろう。原作マンガ『あしたのジョー』は超ロングセラーとなって、現在でも新たな若いファンを獲得している歴史的名作だが、「これがジョーだ」という世間のイメージには、実はアニメ版の影響が大きく作用している。
 ぎらつく白い光線で染め抜かれた背景。モノトーンに色彩を抑えられ、ザラザラとした斜線(タッチ)で描かれた荒々しいキャラクターが、凄まじいスピードで猛然とダッシュ。汗が糸を引き、二匹の野獣が激突した後は、鋭いパンチを受けたボクサーがスローでダウンしていく。リングに沈んだ体躯には上方から七色の光が差し込む……。これこそが出崎統監督によってアニメ化された『あしたのジョー』『あしたのジョー2』の演出で、もしかすると原作の印象を上書きした可能性のある「ジョー像」なのだ。
 ただし、単に原作マンガからアニメへの変換テクニックがうまいという表層的なことが言いたいわけではない。確かに出崎統監督の映像は、テクニカル面で日本のアニメーション全般に計り知れぬ大きな影響を与えている。たとえば感極まった瞬間に画面が静止してイラストタッチに変化するハーモニー(描き画)処理や、ショッキングな瞬間に同じカメラワークが3回繰り返される撮影技法の原点は、出崎統作品にある。その最たるものが細く差し込むキラキラした「入射光」で、今では様々なアニメで使うこの光は、出崎統監督のイメージに応えるべく開発された撮影技法なのだ。他にも日本独自の「アニメ的」と感じる作法には、出崎アニメとその成功が定番化させたものが多く、「テレビアニメの文法を確立させた」という評価さえある。
 こうしたバックグラウンドのためか「技法の人」「職人」という誤解も少なくないのだが、実態はまったく逆だ。これほどエモーショナルにフィルムを演出できる映像クリエイターも、他にはいないと断言できる。むしろ「映像の詩人」とでも呼ぶべき鋭い感性を持ち、本質としては「情の人」というのが私見である。だからこそ、出崎統フィルムには血が通っていると感じられるし、観た者を圧倒するオーラがそこに輝いて見えるのである。
 ある超ベテラン声優に取材をしたとき、こういう意見を聞いた。「出崎統監督の作品ほど役者にとってやりやすいフィルムはありません。台本どおりにセリフを読んでさえいれば、自分の自然な生理と感情が画面と合っていくのです。優しいときにはゆっくり静かに、怒っているときには早く激しく。呼吸に狂いがなく、ピタリとマッチするんです」
 これは出崎統監督作品に共通して感じる、観客と登場人物との気持ちのシンクロを見事に裏づけた証言である。人間は生物だから、理屈よりもこうしたリズムや呼吸といった生理に基づくものを優先的に取り入れる。ことに驚いたり悲しんだり喜んだりといった情緒面においては、言葉そのものよりも視覚・聴覚の印象の律動の方が大きく作用する。
 そうした原則を熟知している出崎統監督は、原作の読み方や解釈もまず感情ありきだし、アニメの演出技法も感情を優先したものになっている。たとえば、情動を優先すれば主観的にこういう画の流れに見えるはずだということが徹底されて、それが独自のスタイルをつむぎ出している。出崎統フィルムでは、何の前触れもなくポンと画面内にものが大写しになったりする。それから改めて、なぜそんなものが見えたのかドラマが展開するが、説明のないことも多々ある。そこに理屈はないからだ。観客が登場人物の心に同期したとき、「ほら、これが見える!」という情動が発生して、その結果として映像が呼び込まれるわけだ。こうしたリズムがうまくハマったとき、キャラクターとフィルムと観客が溶け合ってひとつになった至福の瞬間が生まれる。
 このようなエモーショナルな感覚が積み重なってリズムを織りなし、集約して温度が上昇した結果、ほとばしる情熱にまで高まって感極まらせ、時には一生分ではないかというほと大量の涙を流れさせてくれるのが、出崎統監督のフィルムなのである。
 そんな出崎統監督の代表作を列挙すると、『元祖天才バカボン』、『ベルサイユのばら』、『コブラ』、『ゴルゴ13』、『ブラックジャック』(ビデオ版・劇場版)、『とっとこハム太郎』(劇場版)とメガヒットのマンガ原作がズラリと並ぶ。児童文学をアニメ化した作品では『ガンバの冒険』(冒険者たち)、『家なき子』、『宝島』とこれも錚々たるタイトルだ。これほどポピュラリティの高い原作ものを多数手がけたアニメ監督は、他にはいないだろう。
 つまり、出崎統監督はギャグ、青春ものから人生経験を集約した超大作まで、オールラウンドに対応可能な、希代の演出家なのだ。しかも必ず原作の「本質」とでも言うべき鉱脈をズバリ探りあてるような手腕を発揮する。観客は再構成された原作の味わいをフィルムとして吸収しなおし、あらためてその感動を「経験」しなおす。すでに業界で40年以上ものキャリアを積みながらも、出崎統監督のフィルムは永遠に瑞々しい。それは情熱と冒険心を持ち続けている証左に他ならない。
 以上のような出崎統監督の特質を知るがゆえに、『AIR』劇場アニメ化への期待は高まるばかりである。反射神経やパズル性や重視したゲームと違い、感情を重視し「経験」としての味わいをもつようなゲーム原作は、それだけで「出崎統フィルム」と親和性が高いと思うからだ。
 もちろん、出崎統監督ならではの独特の美意識は、設定や性格、作劇展開といった諸要素に対してフィルムにするための大幅な変換をかけてくるだろう。これまでの多くの原作に対峙してきたときのように。しかし、一見して「違うもの」に思えるアニメとゲーム、ふたつの作品の中から、突如として響きあうような大きな感動が浮き彫りになってくることは、すでに約束されたようなものなのだ。
 ぜひとも出崎統監督が掘り当てた「感動の鉱脈」を共有して欲しい。そして、そうした共鳴の奇跡に興味を持ったら、「出崎統」の名前を覚えて他の作品も味わっていただきたい。それは間違いなく、あなたの人生を豊かにしてくれる至宝なのだから……。
【初出:劇場版「AIR」パンフレット 脱稿:2005.01.15】

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