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2006年12月24日 (日)

90年代的ファン気質

題名:90年代的ファン気質

 90年代のアニメファン気質をキーワードに総括すると、「オタクが語る」ということにつきる。アニメをただ観て楽しむ、あるいは漫然と供給されるままに関連グッズやソフトを集めるという部分から、それについて「語る」ことで、明らかに一歩踏み出た感触がそこにあった。
 「語る」行為が一般化、メジャー化するのを促進した要因は、2つある。ひとつはパソコン通信とインターネットのネットワーク・メディアの発達。もうひとつは、オタクの社会的認知度向上である。
 まずネットの発達に関して、パソコン通信を例に述べる。80年代末期からニフティサーブ(現@nifty)のアニメフォーラムが活況を呈した。開設初期は資源不足からフォーラム内にコミックから特撮までメニューが囲いこまれ、ひとつの会議室で複数作品の話を平行して扱うのも当然とされていた。会員数とモデム速度も貧弱であり、それでも充分なコミュニケーションが取れていた。
 90年代に入ってアニメ・スタッフが自発的に会員として参加することも珍しくなくなった。たとえば『絶対無敵ライジンオー』(91年)では園田英樹さんを中心とする脚本家グループが会議室に参加。会議室を盛り上げるだけでなく、ビデオアニメ化の後押しをした。表だって参加しなくとも、スタッフがROM(リード・オンリー・メンバー)として会議室をウオッチする例が多くなった。
 密度の濃い場に専門的会話な可能なメンバーが集結し、濃い会話が新会員を呼び込むという良いサイクルが90年代初頭に形成された。『美少女戦士セーラームーン』(92年)もネットの発達を促進した作品だ。爆発的な書き込み数を集め、専門会議室が2つ設立された。この成功例をバックに会議室のテーマは細分化され始めた。やがて1作品1会議室が当然になり、果ては声優フォーラムや作品固有フォーラム、アニソン専門フォーラムが独立するにいたった。
 追い風を受けて、『新世紀エヴァンゲリオン』(95年)テレビ放映にあわせてニフティに初のアニメ制作会社専門フォーラム「GAINAXステーション」が設立される。エヴァ専門会議室には毎週放映終了後に読みきれないほどの発言が殺到、作品中の謎を「邪推」する会議室までできた。前後して、Windows95を起爆剤にパソコンが爆発的に普及、インターネット・ブームが発生した。結果としていちファンがホームページを作成し、情報発信することが容易になった。『エヴァ』が最終回放映を迎えたとき、ネットの温度は沸点に達した。さまざまな論議がニフティ、インターネットで怒濤のように発生し、監督個人を罵倒する発言まで現れた。
 野球鑑賞をするオヤジのように「オレならこうするね」的会話をアニメの話題ですることは、以前からあった。が、それは飲み屋や部室などの密室か、数百人程度のサークル内での出来事だった。初期のネットも、穏やかな交流の場「サロン」の雰囲気があった。
 エヴァとインターネットを触媒として、千人万人……マスコミ的単位の人間を相手に公開の場で山岡士郎(美味しんぼ)のごとくアニメを語る「辛口批評家」がにわかに大量発生した。山岡は批評の代償として一週間後に「ほんものの味」を持ってくるが、ネット発言では切り捨て御免も同然の否定的論評も少なくない。手を汚さずに、多数の人間に「ものを語る」快楽は、否定文で書かれた「言葉の暴力」というダークサイドを解放する魔力も同時に秘めていたのだ。
 ネット論評が実際の作品に反映する現象まで発生した。97年夏の映画『The End of Evangellion』で、作品中に「庵野死ね」というインターネット発言が大写しになったのである。これは明らかに最終回論議で登場した「否定文」の一部だ。同作ではファンの姿が実写で銀幕に映し出され、作品あるいは作者に浸食するネットの意見(悪意)を逆にファンに向かってフィードバックさせる演出意図が強く感じられた。このような演出は前代未聞で、まさにネットとインタラクティブになった90年代的新現象だった。
 もうひとつ「オタク」の社会的認知度向上に関してはどうだろうか。
 これも80年代末期からの現象を引きずっている。幼女連続殺人事件が88年末に発生。容疑者の部屋がマスコミに公開され、「オタク的な部屋」が初めて世間の明るみに出て耳目を集めた。これが、オタク認知のきっかけであることは間違いない。
 この事件は、オタク的な趣味が犯罪の温床になるのではないかという印象を世間に強く与え、絶大なネガティブさで記憶されている。しかし事件の本質とは別に、世の中には「オタク」的な人間が多く、アニメを趣味とすることからずっと「卒業」しない、する必要がないと思っている人々が予想外に多いということも、同時に社会的に広く認知されたのである。
 90年代は二大ヒット作、『美少女戦士セーラームーン』と『新世紀エヴァンゲリオン』によって、新ファン層の他に、第一世代を含めたかつてのアニメファンが「帰ってきた」印象が強くある。これもオタク社会認知の肯定化現象と不可分である。
 「第一世代」というのは、1960年生まれが中心で、70年代後半から80年代前半のアニメブームを支えたファンのことだ。アニメマスコミを開拓したこの世代は、「成人になってもアニメを見ていい」という前人未踏の概念を提示した。この層へのアピールが意味するのは「中年になっても、アニメを楽しんでいい」というさらに新しいパラダイムだった。残されているのは「老人になっても(以下略)」であり、これは間違いなく保証されるだろう。「語る」ブームはそれを見越しての前触れと見ることも可能だ。
 第一世代は90年代には30台である。各企業に散った彼らは、決定権を持つ年齢になった。当然、過去に思い入れのあるキャラや作品を取り込んだリリースを行う。ユーザーとしても、この世代は可分所得が多い。LD-BOXを代表とする高額商品も消費可能で、フィギュアなど高価格でこそ実現可能な高品質の商品化も、市場として成立させることが可能になった。ロボットアニメの総集編ゲーム『スーパーロボット大戦』を牽引役にして、ゲームセンターのプライズ商品を中心に高精度造形塗装済のレトロキャラ立体も蔓延、第一世代的オタク商品は、全世代を貫いて受け入れられるようになった。
 92年に「ウルトラマン研究序説」「磯野家の謎」が出版。写真集やムックでない文字主体の研究本が登場し始めたことも、90年代的現象だ。『エヴァンゲリオン』の大ヒットは通称「エヴァ本」と呼ばれる出版ブームも起こした。多くは版権を取得していない「謎本」スタイルのものだったが、研究・論評は多岐にわたり、アニメ以外の他ジャンルからも識者・ライターが多数参加、さまざまな解釈がなされた。これら「活字主体のアニメ本」は、アニメファンという閉じた存在の裾野を拡大する効果があった。
 「活字アニメ本」の主流フォーマットは、四六版もしくはA5サイズの「別冊宝島スタイル」である。「別冊宝島」は文化や生活、ノウハウなど時代に即した基礎教養を集約した「新書」的なものが編集意図だ。そこに「アニメ」も、世代の共通文化として加えられた、というわけだ。ここでも「オタクの社会認知」が着実に根を下ろしたと言える。そして研究本を通じて「オタクが語る」行為はさらに加熱した。
 レトロ商品と『セーラームーン』『エヴァ』をバックに、「オタク」が本質的に何なのかを自分で「語る」こと……作品の研究にとどまらず、「オタクの自分探し」が発生したことも90年代で重要なことだ。
 その頂点に立つのは、自称オタクの王様「オタキング」こと岡田斗司夫さんだ。岡田さんは非常勤講師として96年に「オタク文化論」を東大で行い、テキストとして単行本「オタク学入門」(太田出版)を上梓。これも『エヴァブーム』の立ち上がり時期と同期して、マスコミに大きく取り上げられ、単行本もヒットした。
 岡田さんは、自己卑下の強いアニメファンに対し、鑑賞眼と見識があればその価値観は世界にも通用すると肯定的にとらえ、「もっとオタクになって楽しもう」と呼びかけるものだった。それに応えるように、いま書店でもコミックマーケットでもインターネットでも、アニメファンが「語る」行為が世をにぎわせている。
 いま新しいミレニアムと00年代を迎え、その「意味」を再考する時期が来ている。
 まず、確認しておきたい。アニメ作品というのは、フィルムだけが独立してあるものでは決してない。必ず受け止める観客がいて、心に何らかのリアクションが起きて初めて「作品になる」のである。同様に歴史は、ただ作品とそれにまつわる事実が羅列されれば、勝手に形成されるものではない。解釈によって流れを包括的にまとめ、「語る」作業があって、初めて「歴史にする」ことができるのである。「文化」も同様だ。
 90年代以前に発表されたアニメ作品の多くは風化し、個人体験の内面世界に閉じかけていた。たとえ作品がビデオグラム化され、再見されても、「消費」という経済的な結果だけが残っては虚しい。ここでファンが「語る」行為が一般化したことは、実は千載一遇のチャンスなのである。
 アニメ作品を軸にして言葉を交わす。作品とインタラクティブに何かを語りたい、言葉をつむいでみたいというのは、極めて自然かつ人間的な欲求である。語った言葉を通じてさらに多くの人と共感を持ち、コミュニケーションを取ることで、アニメファンは「歴史」や「文化」に発展する大きなものが獲得できるに違いない。あるいはグローバルなものに発展し、感動を永遠にすることも可能になるだろう。
 否定文で構成された言葉は、人や作品を傷つけるダークサイドのものだ。その魔力にとらわれず、肯定文でアニメを語っていこう。その先にある輝かしいものを前向きに見つめていきたい。次の10年間を楽しく生き抜くために。
【初出:「月刊アニメージュ」(00年2月号/徳間書店)90年代総括特集 脱稿:1999.12.17】

※通常の敬称略にしていないのは、特集内の統一指示だったように思います。また、「リテラシー」という言葉もまだそんなに流行していなかったし、まだ匿名掲示板も巨大化していない時期ですね。この原稿のことは忘れてましたが、7年ぐらい経ったいま、「ネットというツールにはデスノート的側面がある」と書いてることの根幹にこれがあることを思い出しました。「死の宣告」というのは「他者否定」の最たるものなのですから。

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