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2006年11月 5日 (日)

出崎統監督の印象

 出崎統監督には、ある記事(※)のインタビューでお会いした。それが本誌連載の「アニメ新世紀王道秘伝書」(徳間書店から単行本発売中)で第2部を出崎統編に決めたきっかけだった。
 インタビュー席上で言葉を次々と打ち出す出崎監督の熱い姿は、まさに出崎アニメそのものだった。私はまるで私たちだけの新作を観ているかのような歓喜と興奮にうち震えていた。とりわけ印象に残ったのが、出崎監督がフィルムをどうとらえているか、真摯に語る姿だった。
 雑踏で知己に声をかけられ再会するシーンがあったとして、一般には群衆のロングを先においてカットを割る。なぜそんな説明的な演出をするのか。こんな趣旨の疑問を、出崎監督は提示してきた。そんなときには、まず印象的な声が突然ざわめきの中から浮かび上がってきて(カクテルパーティー効果というやつね)、振り向くといきなり懐かしい友の顔の中心がどーんと大アップで見える(きっとフレームからもはみ出しているんだろうなあ)。それからふと気づいて周囲を意識すると(ああここで三回ストロボでトラックバックだな)、それは雑踏の中だった……。人間の生理は、このような認識をこそするはずだというのだ。
 これにはすっかりシビレてしまった。話を聴くだけで、鮮やかな映像、カット割りがまざまざと脳裏に浮かび上がっていった。心底、すごい演出家だと感じた。そして、出崎フィルムを特別なものとしているエッセンスが、五臓六腑に染み渡っていった。出崎監督という人間、生命、生理、哲学、なんでも良い。「生きている出崎そのもの」がフィルムという媒体をつかって直接語りかけてくるからこそ、観ている側も特別な「体験」として受け止められる……そういうことなんだな、と思った。アニメの気持ちよさが、またひとつわかったような気になれた。
 かつてアニメは、「絵に描かれたオブジェクトをどう動きで表現するか」という見えない枠内にとどまっていた。だが、出崎監督のこの話には「時間の流れの中で生理を重視し体感として練り上げていく」という、言われてみれば当たり前の認識が貫かれている。かつて出崎監督が劇場版『エースをねらえ!』のパンフレットで語っていた「アニメである前に映画でありたい」という意味が、一部なりともわかったような気がした。
 だから、感動さめやらぬうちに、連載で出崎アニメを自分の経験として語ることで追いかけてみたいと思ったのだ。実を言うと、まだまだもの足りない。次の機会をねらっていきたい。そんな熱気を持続させてくれるのも、出崎アニメ最大の魅力なのである。
 ところで出崎作品は『元祖天才バカボン』などギャグアニメもまた魅力的だが、なかなかビデオ化に恵まれないのが残念だ。この特集でも取り上げて欲しいなあ……。
【初出:月刊アニメージュ(徳間書店)2001年2月号 連載「出崎伝説」(小黒祐一郎)】

※『ガンバの冒険』LD-BOX用のインタビュー。小黒祐一郎氏と共同取材で、'99年ごろのはず。最初のDVD-BOXにも再録されたらしい(下記再発売分には未収録)。その後、『元祖天才バカボン』はDVD-BOX化されています。


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