茄子 アンダルシアの夏
題名:緊張感あふれる細部は神を宿す
真っ先に目についたのは、画面の上半分が青一色で染められた雲のない空の描写だった。まぶしく明滅する光がある。オープンカーの滑らかなボディ、そしてそれに積まれたテレビ受像器の反射だ。大地は大陸らしい平坦でなだらかな起伏を持ち、乾燥しきった白っぽい土には、申し訳程度の草が生えているだけ。
人工の道路は決して肥沃ではない土地を切り裂き、遠近法の消失点が見えるほど長くなだらかに続く。車を走らせるにつれ、アスファルトに埋め込まれた珪素が路面にきらめき、直射光の強さと気温の高さを改めて教えてくれる。まさしく自分は遙かな地にいて何かが始まるのを待っているという期待が盛り上がったところで、メインタイトルが出る。
開巻早々のこうした描写の積み重ねだけで、これは間違いなく観るに値するアニメーション作品なのだと確信し、フィルムの奏でる心地よい緊張感に身が引き締まった。
『茄子 アンダルシアの夏』の映像には、こうした不思議な緊張感があまねく漂っている。ひとつひとつは、言葉に置き換えてしまったとたん瑞々しさが損なわれてしまいそうな、はかなさを持つ点描ばかりだ。しかし、各々の描写は確かにそこに実在するという強固な存在感を同時に備え、見逃すなという主張を無言で放っている。
主張しているのは風景ばかりではない。人物の会話や配置、人と自転車、チームと個人やクライアントや、レース走破の果てにあるべきもの、人と水と食べ物と土地を貫く連鎖といった雑多なものも、何かを語りかけてくる。具体的な説明は、何ひとつとして登場して来ないにも関わらず、独立した事象も無駄な描写もない。黒猫も変なメガネもテレビも、ある役割を作中で果たしている。すべては大きなひとつの関係性の一部なのだ。
なぜならば、現実世界と人生はあまねくそのようにできているから。だが、それをあるがままにフィルムに定着させるのは、至難の業だ。それをどう成就させようというのか……この興味もまた、緊張感の源泉だ。
言葉にならない言葉、声にならない声に耳を傾けよう。未知なる緊張を避けようとせず、思いきって身を預けさえすれば、関係の連続性が見えてくる。脳内で再構築した体験は、まさしくフィルム内世界へのパスポートとなるだろう。
個々の描写は、やがて激しい一本の流れをなしていく。それは、全編の大半を自転車のペダルを踏み続ける主人公のぺぺという男と、彼の人生観を媒介にしてまとまり始める。
自分の持てる渾身の力をぶつけることでしか前には進まない自転車。ペダルが回り、車輪が回ることで前へ進む。しかし、彼は決して一人で走っているわけではない。そこにはチームがあり仲間がいて、与えられた役割がある。そしてチームには、個性あふれるコンペティタがいる。全体はひと固まりの集団となっているが、いつライバルが出し抜こうと飛び出て来るかわからない。一瞬の誤った判断は、即時リタイヤに結びついてしまう……。
ある程度、人生と社会で経験を積んだ者であれば、このレースの関係性が何を象徴しているかはすぐにわかるだろう。自転車の速さや運動自体に意味があるわけではないのだ。ぺぺが死力を尽くしてペダルを踏むたびに、観ているこちらの息づかいも荒くなる。それは、彼の運動に体感が同期しているからだけではなく、彼の背負ったものと目ざすものの交差するところに、私たちもよく知っている“あのゴール”が見え隠れするからだ。彼の精神的な緊張感が、伝染しているのである。
フィルムとレースの進行とともに、こうした状況がわかればわかるほど、最終的な興味はぺぺ個人へ向いて、収斂の度合いがエスカレートしていく。なぜ走るのか。なぜ自転車なのか。どこを走っているのか。そこを走る意味とは何なのか。
ぺぺの兄アンヘルとカルメンの結婚式……そして自転車レース。この2つのイベントには、運動する者と止まった者がいる。それにももちろん意味がある。その両者の視点を往還しつつ、おぼろげな疑問への手がかりとなる情報が次第に積み重なっていく。やがてパズルの断片がはまるように一体となって、走り続けるぺぺの心の底にあるものがキュッとひとつの像を結ぶ。その瞬間は、まさしくクライマックス。そこには違った人生のかたちがあり、共感が見えるからだ……。
人と世界の結びつきを、日常的な観察情報を素材として巧みにすくいあげ、積み重ねて存在感あふれるドラマに結実させるこういった作法は、まさしく原作者・黒田硫黄のテイスト。だが、高坂希太郎監督はそれを映像化する上で、時間と空間、色彩と音響を加えることで、感覚的なものを見事にアニメ的に移植した。
細部があまねく意味を持ち、有機的につながって生命の感覚を為す。これぞまさに、すべてに神が宿るというアニミズム。だからこの作品を、アニメーションの王道レースを走破したフィルムと呼んでみたい。
【初出:『茄子 アンダルシアの夏』劇場パンフレット映画評 脱稿 2003.07.03】
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