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2006年11月16日 (木)

伝説巨神イデオン

 人類にとって未知の物体を発見したひとびとが、その本当の原理もわからないまま巨大ロボットのように仕立て上げ、次々と襲ってくる外敵を倒す。ときどきそのロボットは制御不可となって暴走し、空に向かって吼えたりしてしまう。闘いはエスカレートの一途をたどり、ついには全人類が滅亡してしまい、その中で新しい生命の可能性が示唆されて物語は終わる。
 ここでクイズです。この作品は何というタイトルでしょうか?
 その答えのひとつが、1980年の作品「伝説巨神イデオン」だ。「機動戦士ガンダム」に続いて制作された富野喜幸(当時)監督による異色の巨大ロボットアニメだ。
 人類が広く宇宙に移民している時代。殖民が始まったばかりのソロ星では滅亡した第六文明人の遺跡が発見されていた。一方、イデなる無限力(むげんちから)を求める異星人バッフ・クランが発掘現場に攻撃をしかけた。そのとき遺跡と思われていたメカはイデオンと呼ばれる巨神に合体し、バッフ・クランのメカを撃退した。バッフ・クランは報復と巨神の奪取を目的に総攻撃を開始。住処を奪われた人々はもう一つの遺跡で宇宙船の機能を持ったソロシップに非難し、宇宙へ発進した。かくしてあてのない宇宙の逃避行が始まった。
 バッフ・クランは重機動メカを使い、軍の総力をあげ、作戦を立てて容赦ない追撃をかける。イデとはいかなるエネルギーなのか?イデオンの制御は、ソロシップのひとびとにも思うにまかせない。子どもに危機が迫ったときに絶大なパワーを発揮したり、まったく作動しなかったり。
 いったいこの戦闘の意味は何なのか。闘いの果てに待つのは何か。
 前作『機動戦士ガンダム』で富野監督は、作家性も見せながら本音はある程度オブラートにくるみ、安彦良和のキャラクターや大河原邦男のメカに中和させ、商売としての節度を守っていた。だが、『イデオン』では富野監督の「本音」が見え隠れする。やるとこまでやってしまいたい、行けるところまで行ってしまいたい。そんな暗い情念に満たされたドラマから、人間って、こういうもんだよねと、富野監督の意欲が見える。
 そう、真の意味で富野監督100%の作家性が発揮されたのが、この作品なのではないか。
 それでは具体的に、『イデオン』のどこが面白いのか?
 まず、なんといってもイデの運命に翻弄される敵・味方のドラマだ。本来は合体玩具を売るためのロボットアニメとしては、人間関係は異様なほどリアルで生臭かった。極限状態において、裏の裏まで人の真実をさらけだしたドラマがそこにある。
 バッフ・クランの女性カララは、ソロシップ側には敵にあたる。だが彼女がソロシップに乗り込まざるを得ない状況を作り出すことで、カララを中心にした愛憎が浮き彫りになり、敵味方に半端ではない葛藤が生まれた。
 追撃隊の指揮を取るカララの姉ハルルが、自分自身の家名へのこだわりを妹カララにぶつけ、裸にして辱め、部下に命じて笑うというエピソードがある。憎悪は決して馴れ合いの和解には結びつかず、物語が進むにつれエスカレートする一方だ。
 ハルルの恋人ダラム・ズバが戦いの中で散ってしまう。ハルルは必死でその形見を入手しようとするが、それすらかなわずイデオンとの戦いの中ですべては無に帰していく。おのれのすべての憎悪を妹カララへの恨みへと転嫁したハルルは、カララこそが事件の元凶、イデ発動の中心と考え無残にも自分の手で射殺してしまうのだ。
 ハルルがふと父に漏らした真意とはなにか? 実はハルルも、ある意味では被害者なのだ。父にあたり、バッフ・クランの全軍を束ねるドバ総司令のエゴで男のように育てられたハルルは、家名を重んじ自分の意思をないがしろにされた我が身と、女性らしく愛する男の子を産もうとした妹カララを比べたとき、たとえようのない憎悪を抱いた。だがその感情と現実にどこかで折り合いをつけなければ生きてはいけない。人間はそう言う生物だ。
 だからハルルはカララをその引き裂かれた自分の元凶とし、殺す行為を選んだ。こうありたい自分とそれに反する現実に折り合いをつける唯一の方法がそれであるから。そこに「イデの発動を止める」という大義名分のあることは、ハルルにとって福音だったに違いない。
 しかし、それを成し遂げたハルルは、肉親殺しの嫌悪感を覚え、父の言葉に救われることもなく、髪をかきむしりながら泣く。筆者はここが全編のクライマックスだと思う。理屈を超えた心の問題がストレートに伝わってくる。こんなアニメが1980年という時代に他にあっただろうか。
 テレビ放映の打ち切りにより、テレビ版総集編「接触編」と打ち切り以後分の「発動編」の二本立ての劇場映画が公開された。いまレンタル店で借りやすいのは、この2本だと思うが、テレビ版の後に「発動編」をつなげて見るのがお勧めの鑑賞スタイルである。特に打ち切りへの怨念が集約し、ドラマ・作画ともに強烈なテンションを放った「発動編」は繰り返しの鑑賞にたえる。人物の演技やメカの破壊シーンの細かさとヤケクソとも思えるドラマのコンビネーションは、驚異的な密度であり、その密度に支えられて前人未到の破滅のドラマが語られる。
 まさに、その後アニメのあり方を変革したとも言える情念のアニメが『イデオン』なのだ。
【初出:SFアニメがおもしろい(アスペクト) 1997年1月】

※「新世紀エヴァンゲリオン」のヒットの影響下で出た文字中心のムックです。

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