巨人の星
題名:21世紀に再見する「巨人の星」の強烈さ
60年代後半から70年代前半のマンガ・アニメ作品の中で、『巨人の星』はひときわ輝く印象を残している。60年代の多くの作品を回想すると、おおむねキャラクターと設定が先に浮かぶのに対し、『巨人の星』では名場面やセリフが、具体的な情景として浮かぶ。そればかりか、回想は星飛雄馬の青春の挫折と栄光の振幅や、父・星一徹に代表される登場人物の厳しくも激しい人生観にまで及んでいく。そして主人公・星飛雄馬の半生は、貧しく未完成な中から夢に向けて、ひたむきだった時代の空気とセットで記憶されている。
原作『巨人の星』は、「週刊少年マガジン」(講談社刊)1966年19号から連載が開始され、1971年3号まで5年にわたってマガジン百万部達成時代を支えた人気マンガだった。この5年は、少年たちにとって長い時間だった。連載開始時には『ウルトラQ』が放映中で、終了時には『仮面ライダー』がスタンバイしていたと言えば実感できるだろうか。「スポ根ブーム」が「怪獣ブーム」と入れ替わりであることはよく知られているが、「スポ根ブーム」とは事実上「巨人の星ブーム」だったわけだ。この期間は読売巨人軍の黄金時代とも同期している。川上哲治監督ひきいる当時の巨人軍が日本シリーズにおいて2年連続優勝(V2)してから、最高記録のV7まで到達する期間が、ちょうど連載時期と重なっているのである。
『巨人の星』の挫折と栄光が表裏一体となったドラマは、当時の世相を反映したものだった。敗戦から20数年たって、高度成長時代を迎えたとはいえ、まだみんな貧しい時代だった。住居は星一家の住むような長屋でなかったとしても、同様に手狭なアパートや社宅で、生活は食べ物も衣類も質素、公務員かサラリーマン以外の職業は幻で、安定した生活に向けて子どもたちは勉強だけを強いられるのが普通だった。だから、当時のマンガは、未来世界やロボット、忍者、超人など非日常の夢を描くべきものとされていた。
『巨人の星』は逆にドブ川や長屋といったリアルな日常世界を基調としながら、そこから大きく現実味のある夢が持てる、という構図をとっている。非日常性を指向した作品が、成長を必要とせず特殊能力を持ったキャラクターを主人公としたのに対し、星飛雄馬は物語の進行にあわせ、少年時代から高校、そしてプロ時代の青年期へと大きく成長する。飛雄馬の野球能力は特殊でヒーロー性を持っているが、それには激しい訓練と努力が必要であることが強調された。こういった点が、敗戦から復興という上り坂にあった世相とよくマッチしていたわけだ。
飛雄馬は、大河ドラマの中で、成長にあわせて激しい感情の振幅見せる。野球への夢は父の夢の押しつけであり、その呪縛は幾度にもわたって飛雄馬を苦しめる。夢とは甘いものではなく、痛みや悩みと引き換えに自らの意志でかなえるものであること……。父親とは保護を求めるものではなく、乗り越えるべきものであること……。友情とはなれ合いではなく、競い高めあうものであること……。こういった人生への真剣な視座が物語の主軸に置かれていた。これが野球の勝負と一体となり、5年という長い連載期間を得たことで、単に強い弱いだけでない普遍性と厚みをもたらしたのである。
では、これほど大きな原作を得たアニメ版とは、いったいどんな作品だったのだろうか。アニメ版は雑誌連載後2年が経過した1968年3月30日から、読売巨人軍に関係の深いよみうりテレビで放映がスタートし、原作連載終了から半年後の1971年9月18日に第181話で完結した。
日本人が「巨人の星の記憶」として持っているものは、実はアニメ版の印象であることが多い。誰もが『巨人の星』と言えば思い出す「目の幅で流れる涙」や「目の中に炎」や「巨大にゆらめく夕陽」は、もちろん原作にもある表現だが、色と動きを加えたアニメ版で映像にパワーアップされて強く焼きついた印象ではないだろうか。
エスカレートして再構築されたアニメ版映像の代表例としては、飛雄馬の「挫折と復活」を象徴した「炎の中に飛び込み何度でも再生する不死鳥」がある。この言葉は、極彩色に輝く美しい羽根をもった鳥が、熱風を感じるほどたぎるマグマの火山に突入するというきらびやかで迫力ある場面として映像化されていた。類似のシーンでは、「竜虎の対決」という故事成句的シーンを竜と虎を実際に画面に大暴れさせた事例を思い出す方も多いだろう。
作画や演出が単にエスカレートするだけに留まらず、特殊撮影も積極的に採用されていた。たとえば、左門豊作がメモを取るときには、手帳と手が部分的に実写で挿入されたりするし、鋭くにらみつける目の光には、当時手間がかかるためテレビアニメではまだ少なかった透過光が使われ、背後の敵がどんどん大きくなるといった表現を合成で表現するなど、特別でリアルな撮影技法が画面の迫力をさらに飾りたてていった。
こんな過剰なまで感動の名場面を激しく情熱的に演出したのは、今でいう総監督と同等のポジション(演出=チーフ・ディレクター)にあった長浜忠夫監督だった。長浜監督の陽性の資質と旺盛なサービス精神が、感動を盛り上げると同時にアニメの演出技法を進化させ、後の作品にも影響を与えていった。原作と同様に、アニメ版『巨人の星』が後の作品にもたらした影響も実に大きいのである。
アニメが原作に追いつき始める2年目移行に、エスカレートしたアニメ表現は増加していき、完成に近づいていく。連載中の原作は、一週間にたった16ページ、アニメにすれば半パート分しか増えない。そこで、ボールを一投するときにも、攻守・敵味方の心理をたんねんに追って、状況や動作を細かくカット割りして、主観的な時間を引きのばした演出が多用されるようになった。結果として重厚で緊張感を持続させたシーンが、さらに観客を画面に引きずりこむことにつながった。やはりこの時期に鉛筆のかすれたタッチをセル画に転写可能な機械化工程も導入され、それまで平板だったアニメの画面に線の力で劇画的迫力を加えることがスタートし、画面の迫力は増す一方だった。
迫力急増中のタイミングで満を持して登場した「大リーグボール」は、野球マンガの必殺技である「魔球」の決定版となった。飛雄馬が投球ポーズに入ってから結果が決まるまで、背景の色が変化して球場全体が異次元空間に包み込まれてしまい、ボールは現実の物質とは思えないほど変形しながら飛んでくる。この描写は、それだけで見せ場となるほどインパクトの強いものであった。この強烈な映像表現は野球シーンにとどまらず、ドラマの心理的葛藤も猛烈な迫力で彩り、飛雄馬たちの青春群像を余すところなく描きあげていったのである。
『巨人の星』は、こういった過剰とも言える表現の記憶から、後年、パロディ・お笑いのネタに多く採用されるようにもなった。作品と表現が時代に密着しすぎたがために、時とともにギャップが激しくなり、ついに笑えるようになってしまったのだ。では、今ではもうお笑い的価値しか残っていないかというと、それは違うと思う。笑いの素材にすらなり得るということは、誰でもすぐわかる共通性があったということだし、ギャップがあるということは、心に残るインパクトがあったということなのだから。
今こそ思い出すべき『巨人の星』の最重要ポイントは、この熱気の背後にあった親子を貫く感情の大きさではないだろうか。なぜならば、飛雄馬と同じ年齢の少年だった我々は、現在は当時の父・星一徹の年齢になっているからである。あの時、われわれの父の世代が、子の世代に何か理想を、熱い想いを残そうとした。いったいあれは何だったのか、なぜだったのだろうか……。ふと確認してみたくなるではないか。
もちろん、『巨人の星』の主張をそのまま受け継ぐ必要はまったくない。時代は変わっているのだから。だが、21世紀の現在まで強烈な記憶が残り、肯定するにせよ否定するにせよ、生き様にまで何らかの影響を与えてしまう……そんな作品があったという事実を、伝わったものの強さを自覚し、まず再確認しよう。
『巨人の星』並みに残っていく……それくらい強烈に次代へ継承させたくなる「俺たちならではのもの」があるのか。あるとすれば、いったい何なのか。そんなことを考えながら、21世紀に本作品を再見してみるのも、良いものではないだろうか。
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