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2019年7月30日 (火)

京都アニメーションの成り立ちと「ブランド」について

 「もうコメントしない」と公言しましたが、海外からの温かい報道に感謝・感心する一方、「なんとなく違う点」も散見されましたので、とあるマスコミの方に「情報提供」として書いたメモを公表することにしました。何も参照せず一気に走り書きしたものですので、部分的に間違っている可能性もありますから、何かご参考になどされる場合は裏を取っていただくという前提でお願いします。また、こうした内容に関しても識者のしっかりした文章の発表に期待しています。

●京都アニメーションの成り立ちと「ブランド」について(メモ)

氷川竜介(明治大学大学院特任教授)
2019年7月27日

※未発表のメモです。取材をするうえで、あるいは取材経験者から聞く「前提」となる歴史的経緯をメモとして送ったものです。

 本来取材経験のある方が的確かと思いますが、自分なりの理解を走り書きで列記しておきます。

 京都アニメーションの「京都(地域性)」「クオリティ」「ブランド化」は密接な関係にあり、日本のアニメ史とも深い関わりがあります。
 少し詳しく説明しますので、うまくまとめていただければと思います。

 もともと「アニメーションスタジオ」は「芸術工房」に近いものでした。特に実制作(ブロダクション)に相当する演出、作画、美術、仕上げ、撮影は、イメージを共有し、一貫した美意識で作業を進めていかないと、ひとつの意志がまとまった映像にならないのです。編集、音響も本来は含まれますが、そこは「ポストプロダクション」なのでケースバイケースです(京都アニメーションはそこまで含めて「一貫」でやろうとしていたと聞きます)。
 ドラマ『なつぞら』で描かれている東洋動画のモデルとなった「東映動画」は、こうした工房を商業ベースに乗せて長編を作ろうとした会社です。ことに絵づくりに関する人たちは、同じイメージボードを見て、同じゴールを共有し、そして時にアイデアを出し合って、ひとつずつ良いものをフィルムに追加していきました。それは全体としての質を豊かにしていくことにつながります。
 ところが1963年の『鉄腕アトム』のヒットにより、毎週、毎週、放送されては流れ去ってしまう「テレビアニメ」の時代が始まりました。じっくりと芸術性や美意識を練りこむヒマもなく、驚くべき量産性の時代に突入したのです。30分でも1話作るのに一ヶ月はかかるので、4班のローテーションで回すということが始まります。
 60年代のうちは、それでもプロダクション(虫プロダクション、竜の子プロ、エイケンの前身であるTCJ動画センターなど)は内製と言って、全工程を社内に擁する体制をとり、一部のみ外注で済んでいましたが、70年代に入ると世情がガラッと変わります。映画の斜陽化を筆頭にして、テレビ番組の制作も含め、徹底した外注化が進むのです。原因はいくつかありますが、東映動画の労働争議、虫プロダクションの倒産などは、その外注化への傾斜と深い関係があります。
 それゆえアニメ制作会社の大半はごく一部のスタッフのみ社員化し、他はぜんぶ外注化するという方策をとりました。これは共倒れを防ぐため、やむを得ない措置だったと思います(この話をすると、まるで外注体制が「悪」みたいに思われるのですが、そういうことではないと思います)。
 結果として、東京中(主に中央線と西武沿線)に外注会社とフリーランスの集団ができました。いわゆる「城下町」的なものです。東京全体で「全日本アニメ会社」なんだ、という業界の人がいるほどです。これによって、作品の増減も吸収できますし、フリーの人も仕事には困らないという状況が出現し、かなり長い時間が過ぎています(50年近く?)。
 しかし、どこの誰にどう仕事を振っても大丈夫にするということは、「繊細な表現は頼めない」ということになります。そして意思統一した発注は難しいですから、いろんなところに振って、絵柄や動かし方がバラバラで上がってきたものを、中枢のスタッフ(作画監督や演出家)が徹夜徹夜で修正し、均一性を保つ。そういうことも多々生じるようになっていきます。
 特にアニメが本当に流れ去ってしまう時代が終わり、「パッケージにして販売し、ビデオ売上を制作費に回す」ようになってから、絵の崩れを観客が許さなくなりました。いわゆる「クオリティ」は本来、工場など製造側の言葉なのですが、それを観客が語るようになってから、外注化による歪みが突出するようになったと思っています。
 スタジオジブリは、1990年代に入って興収が激増したことで、こうした負の連鎖から脱することを考えた会社です。すごく雑に言うと、1970年代初頭に崩れてしまった東映動画のスタジオシステム、高畑勲監督と宮崎駿監督の古巣を、時代に逆らって再現し、オールインワン、内製のスタジオを再現することで、クオリティの基礎となる「美意識の共有」「一貫性ある制作」を1960年代のスタイルに戻したわけです。この「逆張り」が「ジブリだけは違う」という信頼に結びつき、「ブランド化」したピークが『もののけ姫』と『千と千尋の神隠し』でした。
 京都アニメーションはもともと仕上げの会社として京都に居を構えました。そこで地元の雇用を促進し、長期にわたって面倒を見ることで品質管理を徹底したということです。カット袋から出しただけで、京アニの仕上げかどうか分かったというので、相当のものです。そして八田社長は「いつか工程の全部を京都で」という目標をたて、作画を入れ、演出を入れと次第に「1話まるごと」を請けられるようにしたのです。さらに90年代末からデジタル化されたことで、それまで莫大な設備投資と技術が必要だった「撮影」も内製可能となりました。
 その「大規模施設がなくても、ひとつところで可能となったメリット」は、2002年に新海誠監督が登場したのと同じものです。そしてそれを活かすこと、作画・演出・美術・仕上げ・撮影の一環した美意識に反映させることで、どうしても一部はバラバラにせざるを得ない在京他社とは、まったく違う、21世紀ならではの繊細で芸術的なアニメーションづくりと商業性を両立させました。
 雇用面でも他社とは違う優遇、定時を厳守するような労働条件などがあったようですが、あいにくその辺には詳しくないので、割愛させていただきます。
 高度なチームワークができたスタッフは、ひとつの作品の手ごたえを足がかりに、さらに先へ先へと挑戦もできます。そうやって、単にクオリティが高いというのみならず、独自性のある表現力の獲得と、それを前提にした挑戦が可能になったのです。たとえば『たまこラブストーリー』という映画は「女の子が男の子に告白されて、ときめいたら世界が変わって見えた」という、“たったそれだけ”で長編を支えきった希有な作品です。「リズと青い鳥」は私も審査委員になったとき、毎日映画コンクールの「大藤賞」を差し上げることができました。それは「繊細な心理表現」という点で、アニメーション映画を更新したからです。

 さらに言えば、その一連の高みへ昇る姿勢を支持したユーザーたちの期待に応えることで、パッケージ販売が急激に下がっていった2010年代以後もブランド力で安定して売れ続け、そのインカムで、ひとつ、またひとつと、表現の先端を更新していった会社が京都アニメーションです。
 ジブリの美意識は、つまるところ1960年代に確立した東映動画と、高畑・宮崎監督の作家性に依拠しています。あまり新しいものではない。しかしだからこそクラシックの地位を獲得しました。
 しかし京都アニメーションは、それとは違うと思います。21世紀、ネットなどを前提とした「みんなで良いものを」という価値観に根ざしたものがあると思います。
 地の利や、いいものをつくりたいという強固な意志、東京の作品づくりがどこかで置いていかざるを得ない「本来のものづくり精神」などなどを、40年近く一歩ずつ、一歩ずつ積みあげて、芸術・商業が融合する、それによって日常に潜んでいる機微、繊細な感情の揺れを共有するという、世界でも特異な日本のアニメーションづくりを体現し、その代表と言っていいレベルに高めたのだと思います。
 その積みあげた数十名の人――頭脳と手の中に蓄えられ、以心伝心的なチームワーク、長年かけて滋味を醸成したスキルなどなどがあった会社であり、だからこそのブランドという、もっとも重要なところをうまく伝えていただければ幸いです。

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