訃報:中村光毅さん
●訃報:中村光毅さん67歳=アニメーション美術監督
http://mainichi.jp/select/person/news/20110518k0000m060149000c.html
http://sankei.jp.msn.com/entertainments/news/110518/ent11051801010000-n1.htm
中村光毅さんが亡くなりました。またも日本のアニメを方向づけた偉大な才能を失い、残念です。
なんと言っても一般的には『機動戦士ガンダム』の美術監督で有名でしょう。アニメでは動くキャラクターが主役ではあるんですが、背景画として描かれる美術が世界観を決め、作品の品格をかもし出します。ガンダムではスペースコロニーや宇宙要塞の存在感から始まり、ホワイトベースが転々と移動する地球上の各地の風土をぱっと分からせる、その手腕など中村さんの美術が果たした役割は大きいと思っています。続く「伝説巨神イデオン」ラスト近くの巨大戦艦バイラル・ジンや超新星兵器ガンド・ロワなど、美術だけで「もってかれる」感じがしました。
美術のお仕事のすばらしさは、他にも「風の谷のナウシカ」など含めタイトルを挙げていけばキリがありませんが、美術に対する評価が先立ち、メカデザインについて語られることが少ないのが残念です。
もともと中村光毅さんは若くして東映動画に入社しましたが、『宇宙エース』でタツノコプロに移籍。そこで美術課長として数々の作品に関わりました。60年代にはアニメのメカデザイナーという専従者はまだいませんが、車好きだったので「マッハGoGoGo」で自らマッハ号のデザインを提案。同作はアメリカに輸出され「スピードレーサー」として大人気となります。後にウォシャウスキー兄弟監督が実写として近年リメイクしたほどですし、映画「パルプ・フィクション」でもタランティーノ監督自らが出演したカットの後ろにある冷蔵庫に、わざわざ「スピードレーサー」のマグネットが貼ってありました。
そういう意味では、掛け値なしにメカデザイナーの草分けでもあり、世界的に大きな影響をあたえたデザインの創造者であったのです。
SFアニメでは『科学忍者隊ガッチャマン』の美術監督を手がけ、同時にメカニックデザインとして大河原邦男さんと連名でクレジットされています。あるエピソードでギャラクターの科学者として「オガワラー博士と助手のナカモーラ」というキャラが出てきますが、楽屋オチだったわけですね。
大河原さんは服飾のデザイン会社から転職し、中村光毅さんの下に配属されます。背景マンとしての研修中、「ガッチャマン」が立ち上がったため、初期数話で敵側のメカ鉄獣を中心にメカデザインを手がけるようになります。実際には「決断」にも「メカニックデザイン」のクレジットがありますが、SFメカデザインとして専従者が誕生したのはこれが起点です。なのでメインメカは中村デザインですし、この当時の中村さんは課長・美術監督として、美術設定、美術ボード以外にもメカデザインや、セルの色彩から特殊効果、作品のロゴや配色まで面倒みていたので、文字通り「作品のカラー」すべてを決定づけていたのです。現在、これらの中で美術ボード以外は専従者がいて、一人がみるのではなく分業が基本になってますから、黎明期とはいえ、いかに中村さんのお仕事が包括的で精力的で後世にあたえる影響度が大きかったか、分かっていただけるでしょうか。
タツノコ時代に中村さんが手がけられたキャシャーン、ポリマー、テッカマン、タイムボカンの丸っこくてシンプルで、なのに高次曲線の絶妙なラインをもつメカデザインがすごく好きでした。空を飛ぶとか水に潜るとか機能が視覚的にぱっと分かって、しかし現実のメカとは違うアニメのものだと一目でつかめた上に、ひきつける色気がある。それはワン・アンド・オンリーの魅力だったと思います。
事実、マッハ号のデザインは実写リメイクでほとんど変わっていないのに、いまでもぞくっと来るフェロモン的な曲線美をみせてくれました。しかも正面から見ると「M」の意匠を活かしたものになっているし、007映画の影響で組み込まれたオートジャッキ、ベルトタイヤなどのギミックまで満載する完成度の高さです。まさに日本製「anime」の重要な要素の出発点となったものだと思います。
「これぞデザイン」という総合性を見せてくださった方なのです。美術監督のお仕事は充分評価されていると思ってますので、つい長々と書いてしまいました。
ゴーダムの後、タツノコから独立してメカマンを興され今に至りますが、その美術のお仕事は質もそうですが、量のすごさに圧倒されます。講談社の「ガンダム者」には記者の目の前で10数分で美術ボードを描く実演する中村光毅さんというシーンが出てきますが、そうした職人として大事な要素もきちんと示されたんですよね。
取材でお世話になったのは一度だけですが、きさくでにこやかで、ユーモラスにいろんなことを語られたお姿が印象に残っています。心からご冥福をお祈りするとともに、その画業がなんらかのかたちでまとめられ、総合的に語り継がれていくことを望んでいます。
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