http://www.yomiuri.co.jp/national/obit/news/20090722-OYT1T00991.htm
金田伊功氏(かなだ・よしのり=アニメーター)21日死去。57歳。後日、お別れの会を開く予定。
映画「銀河鉄道999」「風の谷のナウシカ」など、多数のアニメで原画を担当した。(2009年7月22日21時47分 読売新聞)
http://bizex.goo.ne.jp/news/CO2009072201001214/
金田伊功氏死去 アニメーター
(共同通信) 7月23日(木) 00:19:51
金田 伊功氏(かなだ・よしのり=アニメーター)21日、心筋こうそくのため死去、57歳。奈良県出身。葬儀・告別式は近親者のみで行う。後日お別れの会を開く予定。
映画「宇宙戦艦ヤマト」「風の谷のナウシカ」など多数のアニメの原画制作に携わった。
一報のあった昨日は、頭の中真っ白でした。
まずは心からご冥福をお祈りいたします。安らかに……。
まだうまく言葉にできないのですが……。
もちろん金田さんは、日本のアニメの作画面で大きな影響を与えた方でした。その手法の子細についてここでは略しますが、もっとも大きな功績としては「アニメーターの仕事=動かすことのおもしろさ」を多くの人に伝えたこと、そして大勢の方、多くの才能をアニメ界へ招いたことだと確信しています。
40代~50代早々ぐらいの年代にあたる演出家、アニメーターの大半は、なんらか金田さんの仕事を意識しつつ、アニメの仕事に就かれたのではないでしょうか。
すぐれたアニメーションとは、それを観た人の心にエネルギーと刺激を与え、活性化させるものです。そして「自分もやってみよう!」と思わせる何かを伝える。命の「情熱」が宿っていなければ、いくらきれいで整っていても、それはアニメーションではないのです(語源を考えてみれば、すぐ分かります)。
楽しく気持ちよく、そしてビックリさせるアニメート。金田さんのアニメーションから、どれだけ多くの元気をいただいたでしょうか。
そして金田さんは、自分にとって何かにつけ、特別な人でした。
妙なめぐり会いがあったと思います。
1度目は1978年の「ランデヴー6号」における「スタジオZ座談会」の記事。ライターは無署名ですが、私です。アニメージュやリュウの創刊以前ですから、たぶん、アニメ関係の書籍で金田伊功さんとそのお仕事を紹介した最初になると思います。
これは大変に不思議なご縁で実現した仕事になりました。かなり反響があったと聞きますので、もしかしたら「アニメの仕事という現場」を伝えた最初期のものになったのかもしれません。
2度目は「動画王」(キネ旬ムック)の創刊号(たぶん1996年)における表紙とインタビュー。ササキバラ・ゴウさん企画によるこれも奇縁でした。
記憶を整理中ですが、
(1)ロフトプラスワンにおける金田伊功さん特集(岡田斗司夫さんのイベント内、北久保弘之さんと同席) たぶん1995年。
(2)東大オタク学講座:金田伊功さんを中心としたエフェクトアニメ論。現在、文庫で入手可能。1996年の5月。
(3)アスペクトのムック:SFアニメがおもしろい エフェクトアニメの紹介(同年夏?)
(4)動画王 1号(同年秋) 金田伊功さんインタビュー
この順番のはずです。そしてこの4番は2時間におよぶ取材をしたものの、仕事の都合で私は1週間ほど渡米し、最初は他の方に「おまかせ」にするはずでした。しかし、アメリカで受信した素起こしを読んだら、「この仕事は他の誰にもやらせられない」と、向こうのホテルでものすごく盛り上がってしまったんですね。締め切り的にもギリギリだったので。
出立日だというのに(当時はまだ大型で電池の保ちもよくない)ノートパソコンにファイルを入れて、飛行機の中ふくめて可能な限り整形をつづけた記憶があります。そして帰国後、実家に車をとばして帰って、原画を発掘します。運が良かったのは割と最初につかんだカット袋の中に主要な原画のコピーが詰まっていたので、それを表紙とミニ特集にして、わっと構成を作成、そんなこんなで間に合ったわけです。
どうしてそこまで盛り上がったかと言えば、「これで20世紀中に、もうザンボットのことを振りかえるチャンスもないだろうな」と思ったからです。ところが、その直後にLD-BOX化という話を聞いて……というのが、単行本「20年目のザンボット3」誕生までの導入になるわけです。
そういう意味では、こうしたところにも「元気の連鎖」があるわけです。
金田流作画は現時点で「天元突破グレンラガン」に受け継がれていると思いますが、その今石洋之監督の雑誌記事での写真に「ザンボット本」が置かれているのに気づいたときには、実に嬉しかったです。ある種、価値観の連鎖、リレーの中で、自分ができることがあるんだという、ありがたい感覚。「自分が観たいアニメのために、やれるかぎりのことをしておきたい」と思うようになったのも、この辺の経験が生きています。
世の中を変えていこうとしたら、こうしたことの積み重ねあるのみで、それもこれも、金田伊功さんの与えてくださった「元気」が本流としてあってのことなんです。
1998年だと思いますが、スクウェアエニックスに入社された金田伊功さんが映画「ファイナルファンタジー」制作のためにハワイへ行かれることになり、記念の画集と、徳間書店の協賛で徳間ホールを使っての上映会+壮行会、アニメージュでの特集をしたのも、良い思い出です。
出国間際、「超特急ヒカリアン」の金田伊功さんが作画・演出を担当された回のダビング後、お食事をごいっしょしたときに、非常に温かいお言葉をいただいたのが忘れられないです。報われた気がしました。
その後も数々のご恩があるのですが、今世紀での大きいものとしては「アニメージュ魂」(02)というムックの金田さん特集内容をチェックしていただいたということがありますね……。ただ、長くなりすぎたので、詳細はいずれまた。
なお、「お別れの会」開催については、アニドウさんのHPに記載があります。
http://www.anido.com/index-j.html
http://www.anido.com/html-j/news2009-j.html
私としても、なんらかできる限りのことはしたいです。
金田さん、本当にありがとうございました。