【訃報】マイケル・クライトン
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今朝ほど知りました。享年66歳、若いです……。
マイケル・クライトンと言えば、まず思い出すのが「保証つき袋とじ」。これは当時の早川書房が単行本を売るときに仕掛けてきた作戦で、途中まで袋
とじになっていなくて、そこまで読んで続きをあけずに「つまらなかったよ」と言えば返金するとか、そういうシステムだったと思います。
「アンドロメダ病原体」がソレでした。高校生当時、図書館にあるものは当然、袋が開いてます。古書店で買っても開いてます(笑)。一度、古書店で開いてないのを見つけたんだけど、あれ?どうしたんだっけなあ。酔狂で買った気もチラリとしますが。
そして「アンドロメダ病原体」と言えばオッドマン。要はプロジェクトには専門家以外が1人入っていた方がいいというトリックスター的な考えです
が、こういうのって歳とってからの方が何が言いたかったのか分かりますよね。で、ロバート・ワイズの映画「アンドロメダ…」公開からはだいぶ経っていたん
ですが、S-Fマガジンのバックナンバーの大伴昌司の記事とか少年マガジンのもそうだったかな、ともかく期待いっぱいでTV放送を見て、TV撮りもしたは
ずです。CGのハシリを使った細菌の変容シーンなども撮った記憶があって、去年のエヴァ新劇場版で使徒のイメージソースがアレだと聞いてイッパツで分かっ
たり。
映画と言えば自身が監督した「ウエストワールド」。「ターミネー
ター」に大きな影響与えた作品ですね。ユル・ブリンナーのロボットから見た主観映像とかも確かあって、眼球の赤いカメラがむきだしとか、明らかにキャメロンはこれにオマージュ捧げてますよね。
これもまた時間の経過した今の方がピンと来るんですよね。「ロボットを使って自動化したテーマパークで暴走ロボが人間を殺し始める」って内容で
すが、まさか日本にディズニーランドができてテーマパークがブームになるとは思いもよらない70年代早々の作品。ちゃんと地に足のついた外挿法的な予測に
なってるのが良かったんですね。そういや続編はDVDになってないのかな。
で、ターミネーターつながりというわけじゃないですが、やはり袋とじで単行本が出たのが「ターミナル・マン」。映画は「電子頭脳人間」という「おい
おい」な題名でしたが、これまたなんてのか初出の70年代よりは今の方が実感ある設定でして。脳内疾患のある患者を開頭手術してコンピュータチップを埋め
込み発作がおきたときに快感信号みたいなのを送って症状を抑えるようにするが、その快感のフィードバックを求めるようになって云々という設定だったと思う
のですが。当時、そんなに脳医学やメンタル系の疾患もまだメジャーな話題ではなかったし、そもそも「そんな人間に埋めるちっちゃいコンピュータなんてでき
るのかよ」みたいなイメージでしたからね。
それで映画の「電子頭脳人間」がなんで誤訳っぽいかと言えば、それは自分が会社に入って「ターミナル(端末)」の開発に携わって本当の意味を
知ったからなんですが。「ターミネーター」というのは「終端」であり「末端」であって、人生・生命をそこでチョンと終わらせるヤツだから「ターミネー
ター」なんですね。
だからシステムであったり、いろんな長々と続くものの、おしまいの方にいるのがターミナル。で、これがコンピュータあるいは交換機のシステムで
どういう意味をもつかと言えば、まあコンピュータも交換機も抜本的には類似システムでできてるわけですが(なので交換機を作っていた会社が電子計算機に乗
り出したりもできるわけですが)、ハイアラーキー(階層構造)、日本ではヒエラルキーという表記が多いですが、そのシステム的な考えで言えば、「お上」が
存在してるわけですね。コンピュータでいえばメインフレーム、電話網でいえば交換機が「お上」なんすよ。
ってわけで、かつてのわたくしはデジタル電話機の開発、つまり端末屋でして、その流れでケータイ関係の仕事もしてたわけですが、なんだかときどき「?」となることがある。それもそのはず、電話はターミナル、下々の方にあるからで、よく考えたら端末って末端をひっくり返しただけじゃんと(笑)。
まあでもターミナルの開発をやらせてもらったおかげで、オールインワンのシステムの仕組みが分かりましたし、人間と接するつまりヒューマンインタフェースの大事さも分かったと。
しかも時代が流れてみれば、ターミナルの方が偉い。つまり中央集権的な「お上」がなくても、究極の分散化システムであるところのインターネットで
同じことができると、そういうパラダイムシフトが来るわけですから。いまは(少なくともユーザーは)パソコンやケータイが「末端」にあって劣るとは思って
ないと思いますが。
で、めちゃくちゃフリが長くなりましたが、そういうわけで「脳内コンピュータがご主人様になって、端末=奴隷化しちゃってターミナルになりはてた人間」ってのが、クライトンが本当に題名にこめた意味でございます。
ということで考えてみるとですね、今やPCやケータイにはりついて、刺激がガンガンとネットから脳に降りてきてウットリしまくってるわれわれも、
いつの間にやらターミナルマンではないのか。押井守監督が「サイボーグというのは脳内に内蔵するとか関係ない、ケータイみたいに外化されても同じ作用をす
れば本質は同じ」と言ってる意味を考えないとなー、みたいな。
まあ、そういう30年も40年も先取りをしていた方だったわけで。
時間をおいてのヒット作「ジュラシック・パーク」もクライトンの原作の方は、実は「パラダイムシフト」の話でありまして。最後の方で、パラダイム
というのは実は中にいる人間には分からないので、シフトが完了しちゃえばまた分からなくなるんだ、みたいなことが書いてありました。確かに弁証法的に考え
ればそうなんですよね。
で、問題は「シフトしている最中」でして、つまりそこに境界に接した対立構造が生み出すコンフリクトがあって、ドラマが生まれて争いも発生する
と。これはもう、ドラマツルギーを熟知した作家ならではの発想ではないかと思うんですが、それが分かるようになったのも、後からなんですよね。
ちなみに原作はエンターテインメントとしてはちょっと疑問があって、「川を流されると、その向こうは滝」という一生涯でこの展開は1億回ぐらい
見たぞ、みたいなのがあったりするんだもんなー(苦笑)。こないだインディ・ジョーンズだったかハムナプトラだったか(印象が混ざってる)どっちかでヌケ
ヌケとやってたアレですよ。
「えっ?何のこと?」みたいなのが後からジワジワ効いてくる。私にとってのクライトンは、そういう作家でした。本当に残念です。
注:マーケットプレイスの「1円」などには340円程度の送料が別途かかるので注意してください。
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