アニメ脚本家として数々の作品に参加されてきた星山博之さんが2月7日に亡くなったそうです。享年62歳。
虫プロの文芸部で『ムーミン』など活躍後、サンライズで『無敵超人ザンボット3』から連なる数々の作品に参加。もっとも有名なのは、やはり富野由悠季監督との『機動戦士ガンダム』のお仕事でしょう。
ちょうど三越でやっている講演の2期の第1回目では、星山さんの書かれた『ガンダム』の第1話を例示に使わせていただきました。それは昔、そのシナリオを読んだときには、完成作品との違いの方が気になったが、今あらためて読み直すとシナリオどおりになっているというような説明をさせていただきました。
違いというのは、たとえば冒頭はムサイ艦の中から宇宙世紀の時計が動いているところから始まっている部分、シャアのラストの「認めたくないものだな……」という台詞がないところなど(これは記録全集で星山さんご自身が唐突だと語っておられた記憶があります)。
ところが改めて読み直すと、驚くべきことが判るんです。その冒頭を例の年代記のナレーションに置き換えただけで、起きる事件の展開、構成はまったく同じなんですね。それはこの20数年の間に、自分なりにシナリオの読み方を覚えたということもあります。
つまり、柱として書かれている舞台の変化を追っていく。「同じ→同じ→ここで変わる」とか、同じ舞台が拡大していくとか、そういう読み方です。その中での人の出入りや絡みを追うということをやってみると、違っているのはディテールで構造・構成は同じだということが分かったわけです。
演出段階で要件が変わるとはどういうことか。それは、フラウ・ボゥの家族が死ぬシーンがシナリオだと結果だけだったのが、絵コンテ段階ではアムロも直視して、かつフラウ・ボゥを励ますシーンが長回しで入ってるんです。それは「シナリオをビジュアライズする」という時に出てきた要件なんでしょうね。
ともかく「脚本家がお話を書く」「演出家はそれを映像化する」と単純化できない、さまざまなプロセスがそこにはあるということです。
という感じで、「これは研究のしがいがあるなあ、お話を聞いてみたいなあ」などと思っていた矢先に……というのは、まったく実相寺監督と同じパターンで、ひどく落ちこみました。
ちなみに星山さんがガンダムの1話でよく語られていたことは、アムロの「男の子の生理現象」を書いたということ。ガンダムの「生っぽさ」は星山さん発のことも多いのではないかというのは、つとに言われていたことで、まだまだ考えていかねばならないことが多いのです。
つい『ガンダム』の話ばかりしてしまいましたが、『銀河漂流バイファム』や『無敵ロボ トライダーG7』、『太陽の牙ダグラム』などサンライズ作品に見える「ヒューマンな味」も星山さんによるところ大だと思ってます。それはいまや伝統として受け継がれているとも。
そうした惜別の念もこめつつ、心からご冥福をお祈りいたします。
※命日に誤記がありました。8日→7日に修正しました。